こんにちは、yuzubabyです!
2022年は、どんな一年でしたか?
今さらながら、2022年を振り返ってみます。
1. 書いた
表参道にある「シナリオセンター」という脚本スクールの本科を終了し、研修科に進学しました。
嬉しかったことといえば、本科に在籍中に書いた20枚の脚本を、シナリオセンターの先生に推薦いただき、月刊シナリオ教室の2022年5月号に掲載されたことです。
2022年は、以下のテーマを在籍中に書きました。
- 親子
- 姑と嫁
- ヒモ
- 憎しみ
- 喜び
- 悲しみ
- おせっかい
- 旅
- 盗み
各お題につき20枚なので、20枚 × 9 = 180枚。
書いたり消したりを繰り返すので、180枚以上書いてはいるものの、180枚なんてまだまだですね。
1か月に20枚も書けていないなんて... 恐るべしスローペース...
コンクールの応募実績はというと...
- TSUTAYA CREATOR'S PROGRAM → 締切に間に合わず... 泣いた
- NHK脚本開発チームWDRプロジェクト → 応募したが1次で敗戦(応募件数は2025名の中から最終的に10名選ばれた超狭き門...)
WDRプロジェクトは、自分で初めてそこそこ納得のいく完成度のものを提出できたので、その分落選したときは悔しかったですが、悔いはありませんでした。
2023年は、もっと挑戦の回数を増やすことと、挑戦のたびに現時点での自分の最大限を出し切ることを目標にしたいと思います。
2. 旅した
2022年は、いろいろ国内外を旅しました。
1月 ダイヤモンド富士を拝みに静岡・山梨へ
2月 流氷を求めて北海道の知床へ
4月 会社のメンバーと千葉でグランピング
5月 福島・宮城へドライブ
6月 沖縄(人生初のパラセーリング)と北海道(トマムで雲海)へ
9月 シンガポール・マレーシア
11月 あきる野の山奥でグランピング、岐阜(飛騨高山)へ
12月 1泊2日の弾丸韓国旅行、出張帰りに白川郷へ
2022年は、コロナの規制が緩和されたこともあり、久々に海外旅行に行きました。
1か月の間にシンガポール、マレーシア、クロアチア、スロヴェニアの4か国を巡るという濃密な時間を過ごすなかで、「やっぱり海外テンション上がるな~」という気持ちと同時に、体力の衰えを感じました。
コロナでリモートワークが増え、筋肉が衰えてしまったからなのか...
はたまた30歳までカウントダウンが始まったからなのか...
真相は謎に包まれますが、とにかくいろんな意味で「旅はできるうちにしておいたほうがいい」と思いました。
わたしの祖母は樺太(現在でいうロシア領土のサハリン)出身なので、いつか樺太に行ってみたいという想いがあるのですが、2022年はロシアとウクライナの戦争が始まったことで、日本からロシアには飛べなくなりました。
いつ国際情勢が変わるかもわからない。今日行けていた国にも明日には行けなくなっているかもしれない。それに、自分だっていつまで元気でいられるかわからない。いつ何が起きるかわからない。
「旅はいつでもできるのではないか」「今旅に時間を割くより、今は仕事面での自分磨きにいそしんだほうがいいんじゃないか」と思っていましたが、「旅はいつでもできるわけじゃない。本当に行きたいのなら今行くべし」と思うようになりました。
3. 失業した
2022年後半は、転職してサラリーマンを続けるか、仕事しながら旅するというライフスタイルを選ぶか迷っていました。というのも、今まで働いていたスタートアップが事業縮小する運びとなり、9月にチームが解散したからです。3年3ヶ月働いたスタートアップを、突然辞めることになったのです。
そんなこんなで、失業しました。
※就職している状態とは、週20時間以上働いている場合のことだそうです。
なので、副業していたとしても、週20時間以下の稼働であれば晴れて失業状態です。
社内の公用語は英語なのですが、社長から、キャッシュが底をつきそうだからチームが解散するかもしれないと言われたとき、「You can fire me anytime(副業してるしいつでもクビにしてくれていいよ)」と言ったら、「You are the most flexible person I've ever met(今まで会った中で1番柔軟な人だね)」と言われました。
投資家の方々がチームに懸けてくださったことや、社長の想いを考えると、スタートアップがうまく軌道に乗らなかったこと、自分が貢献できなかったことに対して本来であればもっと悔しがらなければいけないのですが...
そしてもちろん悔しい気持ちもあったのですが...
スタートアップを辞めるとなったとき、どこかホッとしてしまいました。
というのも、どんなに苦しい状況でも希望を持ち続けて走り続けなければいけないスタートアップという環境の中で、何度も辞めたいと思ったし、でもそのたびに「今辞めても何も変わらないと思うよ」という元上司の言葉を思い返しては「あと少し、もう少し頑張ろう」という想いで過ごしてきた3年3ヵ月間。
決定的にイヤな奴がいたりイヤなことがあれば辞められるのですが、なんだかんだチーム想いでいてくれる社長や人として大好きなチームメンバーのことを考えると、辞めどきがわからず、もう少し頑張ろうがずっと続いた気がします。
自分からはなかなか辞められなかったからこそ(もちろん辞めたくないという気持ちがなんだかんだあったから辞めなかったわけですが)、辞めるチャンスが訪れたことに対して、ホッとしてしまったんだと思います。
失業してホッとするっておかしな話ですよね。
ホッとできるのもセーフティーネットのおかげだと思います。
失業しても副業は続けているし、今まで出会った人から「ウチで働かないか」というありがたいお話を何度かいただけたこともあり人脈的に恵まれているし、社会人生活5年間を通じてそれなりに能力を伸ばせたという自信がある。もちろんまだまだ伸びしろはあるというか伸びしろしかないけど。
そしてホッとしてしまった本当の理由は、
悔しがれるほど心から本気になれていなかったからかもしれません。
悔しいって、本気ってことだもんね。
自分の熱意は、やっぱり「言葉にかかわる仕事」にあるのかもしれません。
あるんだと思います。
ただ... 20代後半になって、新卒入社した1社目の同期がマネージャーに昇進して1,000万円越えの世界へと羽ばたいていく中で、どんどん広がっていく同期と自分の収入の差。2021年の秋から副業していたので、スタートアップを辞めてもいきなり収入が絶たれる事態にはなりませんでしたが...
「学生時代に貧乏はイヤだとあれだけ思ったはずなのに、なんで自ら貧乏の道を選んでるんだろう」と思わざるを得ないし、「何ごとをするにも経済基盤が必要」だと思ったので、スタートアップを辞めてからは普通に転職するつもりでした。
以下、仕事を辞めてからのタイムラインです。↓
<2022年後半のタイムライン>
9/16 計3年3ヶ月勤めたスタートアップを辞める
9/17-24 シンガポール・マレーシア旅行に行く(急遽現地本社で面接...!)
9/27 転職候補先の最終面接を受ける(その日のうちに内定をいただく)
9/29 他に最終面接(×2社)を受ける(合否については... ご想像の通り!笑)
10/12 体調を崩し寝込む・内定を承諾して転職するか、旅人になるか悩む
10/14 内定を承諾する、ハローワークへ離職票を提出しに行く
10/17 雇用契約書が送られてくる(内定通知書の内容と齟齬あり)
10/19 紆余曲折の末、転職を辞めると決意。「君の名は」の再上映を観に行く
10/20-27 業務委託で週10時間働きながら、旅の準備にいそしむ
10/28- コロナ陽性になる
転職活動をして最終選考に残ったのは3社。
9月の最終週に3社の最終面接を控えた中で、久々の海外旅行。
いろんな意味でそわそわしながら行った海外旅行。
最終面接を控えた3社のうち、1社はすごく魅力的な会社で。
シンガポールに本社を構えるスタートアップの日本支社でのマーケターポジション。
ガンの早期発見技術を開発して社会実装しようとしている会社で、目指すはPreventive Healthcareの文化とのこと。社会的意義のあるプロダクトを広められる仕事というのはマーケターとしてはこの上ない喜びだし、とても興味のあった会社。
まだ転職活動をするとは思っていなかったときに予約した、プライベートで行くはずだったシンガポール・マレーシア旅行でしたが、日本支社の代表がたまたまわたしと同じ時期にシンガポールにいるということで、旅行中にシンガポールで面接することに!
そこまでして行きたかった会社から、晴れて内定をいただけたわけですが、お給料が当社聞いていたよりも低かった(みなし残業40時間分が含まれての年収を提示いただいてました)のと、フリーランスか個人事業主として「働きながら旅する・脚本を書く」というライフスタイルがあまりにも眩しかったので、内定辞退する運びとなりました。
採用通知書の受諾後に辞退したので、先方には迷惑をかけてしまったかと思いますが、実際の契約書にサインする時点で初めてみなし残業代込みの提示年収だったことがわかったり、契約の手続き面で(違う人の名前が載っているなど)思うところもあったので、先方にも理解いただきました。
たまたまシンガポールに居合わせて面接が決まったときは、「これは運命かもしれない」と思ったし、運命だと思いました。
リクルーターから内定の話をもらえたときはすごく嬉しかったし(常盤橋タワーのタリーズにいました)、働きながら旅して書くというライフスタイルを手放してでも転職すると決めて採用通知書に受諾した直後は「これでよかったんだ」とすがすがしい気持ちでしたが(インスタグラムに思いのたけを長文投稿しました笑)、数日経つとだんだん「ほんとにこれでよかったんだっけ?」と不安になる日々...
挑戦に不安はつきものですが、このままだと不安というより不満に発展してしまいそうで。どうしてあのとき「働きながら旅して書く」というライフスタイルを選ばなかったんだろう、という自分自身への不満。
不満より不安でいたい。
これが自分の出した答えでした。
1回乗ってみて、違うと思ったら降りる。
これも有効かもしれません。
この前、バス停でバスを待っていたときのこと。
15:35分発の渋谷行きのバスに乗ろうとしていたのですが、ちょうど15:35にバスが来たので、何も考えず乗車しました。
ところが!
なんと、渋谷行きのバスではありませんでした。
「途中までは渋谷方面かな?」
「しばらくはこのまま乗っても平気かな?」
「前払い制だし今すぐ降りるのもな...」
のんきにそんなことを思っていましたが、どんどん遠くなるかもしれないなら今すぐ降りたほうがいい。そう思って、とっさに降りるボタンを押しました。そして乗車してからわずか500mほどの距離で降りました。笑
よく、「投資すればするほどやめられなくなる」といいますよね。
※Google先生によると、↑ の現象を「コンコルド効果」と呼ぶそうです。
「こんなに投資したのにやめるのはもったいない」と考え、これからさらに損するかもしれないのに投資をやめられない状態のこと。
1度決めたことをくつがえすのはカッコ悪い。
だから、乗ると決めた列車の行き先が本当に行きたい場所ではなかったと気づいても、途中下車せずそのまま乗り続けることもあるかもしれません。
ただ、行き先が違ったことはたいした問題ではなくて、行き先が違うと気づいたのに途中下車しないほうが問題だと思います。人によっては、行き先が違うと気づいても、「まあこの行き先も悪くない」と自分に言い聞かせて、そのまま列車に乗り続けるかもしれません。「もうここまで来たんだし、今さら降りるのも」と。
もちろん、最初から正しい行き先の列車に乗るに越したことはありません。
でも、自分がどこに行きたいのか自分でもよくわかっていなかったり、途中で行きたい場所が変わることもあります。
だから、1回乗ってみて、違うと思ったら降りる。
これでいいんだと思います(と自分に言い聞かせます)。
降りたあとは、列車に乗ったままどんどん進んでいく人たちを見て焦りを感じるし、自分はここで立ち止まってなにをしてるんだろうという虚無感にさいなまれることもあると思います(実際、転職のオファーを断ってからこんな気持ちになりました)。
でも、それでいいのだ。
人生それでいいのだ。
不満なのであれば問題だけど、不安なのであれば問題ではないのだ。
不安ということは、挑戦している証だから。
※わたしの脳内には今、天才バカボンの「♪これでいいのだ~」が流れています。
28歳になった今もたいしたことを成し遂げられていない自分にやきもきしますが、悩みながらも自分の生き方を模索して、不安ながらも進んでいくこの滑稽なわたしの姿を見て、画面の前のあ・な・た♪ を勇気づけられていたら嬉しいです(←頭おかしくなった人)。
さいごに
振り返ってみると、社会人になってからというもの、動詞(=何をするか)に頭がいっぱいで、名詞(=人としてどうありたいか)をあまり意識してきませんでした。
というのも、学生のときはなんとなくみんな同じ道を歩んでいる気がして、学校という空間においても競争みたいなものは存在していたわけなのですが、あまり他の学生と差を感じることはありませんでした。
社会人になってからは、みんな別々の道を歩んで、お給料とかライフスタイルとか、どんどん違いが増えていく。夢を追いかけ続けている人もいれば、今を楽しんでいる人もいれば、現状に不満な人もいれば、もやもやしている人もいる。
学生のときに一生分努力したつもりだったけど(←言い過ぎ)、本当の正念場は社会人になってからなんだと痛感する日々。どこかで「なんとなくここまで頑張ればいいかな」と見切りをつけ、100%の全力を出し切らないまま過ぎていく日々。
夢を追いかけるというドーパミン的幸せを得ることより、今ココを大切な人たちと過ごすというオキシトシン的幸せに気づけたということなのかもしれませんが、自分の性格上、たぶんドーパミン的幸せをもう少し欲している気がします。
20代特有の「何者かにならねば症候群」みたいな。
そんなこんなで、28歳の今、これまでの社会人時代を振り返ってみると、「何者かにならねば」「何かを成し遂げたい」という想いから、専門性を身に着けようともがいてきました。
紆余曲折してきた今、自分が今年、そしてこれから磨き続けたい専門性は、「言葉」です。「言葉」を仕事にしたいです。ということで引き続き脚本の勉強にいそしみます。
ただ、「言葉」を仕事にしたいと思っているにも関わらず、去年はたびたび言葉で人を傷つけてしまうことがありました。誰かに嫌なことを言われたりされたりしたら、反射的に鋭い言葉で返してしまう。「言葉」を大切にしたいのに、言葉をぞんざいに使ってしまう幼稚な自分に嫌気が指してしまう。28歳の自分より、18の自分のほうがよっぽど精神的に大人だったのではないか。
そう思うことがたびたびあったので、これからは「働きながら旅して書く」というライフスタイルを楽しみつつ、人としての徳をもっと積む所存です。
2023年の意気込みについてはまた別の記事で書こうと思います。
ではではっ!