韓国ドラマ「サイコだけど大丈夫」の感想をつらつらと書きました。
※ネタバレあります※
※脚本家志望者として、そして韓国ドラマファンとして、備忘録的に書いた記事です。すでに観た方にとっては言わずもがなだと思いますが、物語が伝えたかったことや、登場人物が抱えていたトラウマ、変化についてまとめました。
↑ Netflixのビジュアルは、別のビジュアルですが、個人的にはこれが1番好きです。
他人同士でも、家族写真を撮れば家族になれる、ということで撮影した家族写真。
観終わったあとの所感(備忘録)
「サイコだけど大丈夫」というタイトル的に、サイコパスが恋する話かと思った。
アダルトチルドレン、家族、癒しの話だった。
大人だって、遊びたい。
日本語では、ある一定の年齢を超えると「遊ぶ」の意味が変わってしまう。「アイツ遊んでるらしいぜ」って、大体いい意味じゃない。友達を誘うときも、「遊ぼうよ」というより「ご飯行こうよ」とか「呑もうよ」とか。別にそれでもいいのだけれど、「遊ぶ」っていう言葉を使うと、ご飯とかお酒とかに縛られず、もっと自由な感じがする。
大人でも「遊ぶこと」を大切にしていきたい。
落ち込んでいる人がいたら、「大丈夫?」じゃなくて「一緒に遊ぼうよ」って言いたい。
そしてサンテさんに対してズケズケ言いたいことを言って子どものようにケンカする、童話作家・ムニョンも最高だった。
「サイコだけど大丈夫」は、大丈夫じゃない人たちが、大丈夫になるお話。
そして「大丈夫じゃなくて、大丈夫だよ」というお話。
どうやって大丈夫になるかというと、自分のトラウマ(または足かせ)から逃げるのではなく、忘れるのでもなく、向き合って乗り越えること。その証に、ドラマでは、たびたび次のセリフが出てきます。
忘れるな。乗り越えろ。無理なら、魂が成長しないから、いつまでも子供だ
登場人物のトラウマと変化
コ・ムニョン
童話作家・ムニョンにとっての足かせは、母。
人のぬくもりを知らないムニョンの母は、娘に対する愛情も曲がったものだった。
娘を城に閉じ込め、他人との接触を遠ざけた。
感情や愛情なんていうのは、人間を弱くさせる余計なモノで、強い人間になるためには、感情や愛情なんて捨てて、代わりに非情にならなければならない。
そんな母のもとで育ったムニョンは、愛されることも愛することも知らない。
しかし、ムニョンは自分を「感情のない人間だから、1人で生きていくんだ」と割り切り、自分の心の奥底で渇望している「孤独」と向き合おうとしない。孤独と向き合うためには、まずは「自分は孤独だ」と気付いて認めることが必要だからだ。心のどこかで「自分は孤独なんだ」と薄々気付いていても、それを認めるのには勇気がいる。
人のぬくもりを知らず、人を愛せないムニョンは、ガンテ・サンテ兄弟との出会いを通じて人のぬくもりを知り、人を愛せる人間へと成長する。
ムン・ガンテ
介護士・ガンテにとっての足かせは、兄・サンテ。
幼い頃に母を亡くしたガンテとサンテ兄弟。
自閉症の兄・サンテのそばを離れず、サンテを守るために生きてきたガンテ。
行きたかった大学にも行かず、選んだ職業は、精神病棟の介護士。
そんなガンテは、母が生前「お兄ちゃんを守ってもらうためにあなたを産んだのに」とあるまじき言葉を投げかけたことをずっとトラウマに思っていて、「自分は愛されるために産まれたのではなく、兄を守るために産まれたのだ」と、母からの愛情に飢えていた。
兄も、「ムン・ガンテは僕のもの」という。そんな兄に対して、幼少期のガンテは「僕は兄のものじゃない。ムン・ガンテはムン・ガンテ(僕)のものだ!」と泣き叫ぶ。
兄のことは大好きだが、同時に「母からの愛情を独り占めし、自分を縛りつける憎い存在」という気持ちもあった。
でも、そんな気持ちを抱く自分を責め、そんな気持ちと向き合おうとしないガンテ。
ガンテは、兄を愛すること・守ることはできていても、誰かに愛されること・守られることに飢えていた。
また、正直で感情をそのままぶつけてくる兄に対して、ずっと我慢してきたガンテ。
自分さえ我慢すれば、ことは丸く収まると自分に言い聞かせてきた。
でも、ずっと感情を抑えて我慢してきたがゆえに、感情を表現することが苦手なガンテ。いわゆるストレスの発散方法がわからず、悶々とした日々を過ごす。
誰かに「兄を守る自分」ではなく「自分の存在そのもの」を認めて愛してもらいたかったガンテ、そして感情を抑えてずっと我慢してきたガンテは、感情を常に爆発させストレートに物事を言うムニョンとの出会いを通じて、兄を守るつもりが実は兄から守られていたことを知り、そして我慢しなくて感情を表に出していいことを知り、泣いたり笑ったりできる人間へと成長する。兄とも、兄に縛られる弟ではなく、互いに支え合う兄弟という関係性を築けるようになる。
ムン・サンテ
サンテにとっての足かせは、蝶。
幼い頃に、母が殺される現場を目撃してしまったサンテ。
そして母を殺した犯人が胸につけていたのは、蝶のブローチ。
以来、サンテは「蝶が母を殺した」と言い続け、蝶をひどく恐れるようになる。
蝶が自分を追いかけてくる悪夢を見ては、「蝶に殺される!」といい、そのたびに弟・ガンテと引っ越していたサンテ。
サンテにとって、蝶=母の死(殺害)のシンボルであり、とても怖い存在。
また、サンテは「ムン・ガンテ(弟)は僕のものだ!」と言って、ある意味で弟を束縛する。
弟に頼り、蝶から逃げてきたサンテは、周りの人達との交流を通じて、そして精神科病院の院長から「蝶はプシュケー(治癒)のシンボルなんだよ、すべての蝶が悪いわけじゃない、大体の蝶はいい蝶なんだよ」と言われたことで、蝶を乗り越え(もう蝶の悪夢を見ても怖くないし逃げない)、そして弟に頼るのではなく「自分は兄なんだから、自分が弟を守るんだ」とか「ムン・ガンテ(弟)は自分のものではなくムン・ガンテ(弟)のものだ」と言える人間へと成長する。
印象的な小道具
- 蝶
- マンテ
- 絵本
- 大きな恐竜のぬいぐるみ(通称ドゥーリーの母)
心に響いたシーン(他にもたくさんありますが、ひとまず)
ムニョンの母が、自分の母を殺したー
その事実を知らないサンテ。
結局、物語の中でサンテがその事実を知らされることはなかったけど、もし知ったとしてもきっとサンテはそれを受け入れてくれる(悪いのはムニョンの母であり、ムニョンではない)だろうと希望を持たせてくれた秀逸なシーンがあります。
それは、ムニョンの母がサンテにくれた、恐竜のぬいぐるみ(通称ドゥーリーの母)。
ムニョンの母をいい人だと思っていたのに... と落ち込むサンテに対して、「いい人のふりをした悪い人だったんだよ」という弟・ガンテ。
その言葉を聞いて、「悪い人がくれたドゥーリーの母(恐竜ぬいぐるみ)は捨てなきゃ」というサンテだが、ガンテがいざ捨てようとすると、「やっぱりダメ!」と慌てて止めるサンテ。
ドゥーリーの母に罪はないから、と。
文字だけじゃこのシーンのすごさは伝わらないと思うので、ぜひドラマを観てみてください!
脚本視点での学び
回想シーンの代わりに、別の物語(童話)のシーンを入れる
過去になにが起こったかを説明する回想シーンではなく、過去でも未来でもなく、別の物語(童話)のシーンを入れることで、本筋の物語への理解を促したり、物語が伝えたいことを強調したりできる、と思いました。
映画「ドライブ・マイ・カー」の中でたびたび登場した「ワーニャ伯父さん」の物語も、同じような役割を担っていたかと思います。
「サイコだけど大丈夫」では、みんなが知っている童話(みにくいアヒルの子や美女と野獣など)と、童話作家の主人公・ムニョンが作ったオリジナルの童話の2種類が登場します。
みんなが知っている童話を織り交ぜることで、共感を呼びつつ、オリジナルの童話を使ってドラマの世界観にいざなう。そのバランスが絶妙で素晴らしいと思いました!(ちなみにドラマに出てくる童話(絵本)は、なんとAmazonで買えるそうです。びっくり!)
以上、観終わった後に書いた備忘録(ただのメモ)でした!
心との向き合い方とか、人のぬくもりが恋しいときとかに観たら、特に響くんじゃないかな、と思いました(一部過激なシーンもありますが)。
もし興味のある方は、ぜひ観てみてください!(後半になると面白さが加速します)
ではではっ!