人が嫌いなものは、なんでしょうか?
嫌いなものは人それぞれですが、おそらく多くの人が共通して嫌いなものー
それは、報われない努力ではないでしょうか。
この記事では、報われない努力との向き合いかたについて考えてみました。
こんなに頑張ってるのに報われない...
どんなに頑張っても報われない...
もう諦めたほうがいいのだろうか...
そんな風に感じている方にとって、なにかしらのヒントとなれば嬉しいです。
努力すれば報われる?それとも報われない?
「努力すれば報われる」とか、「努力したって報われやしない」とか。
世の中にはいろんな主張がうじゃうじゃしてますよね。
「努力すれば報われる」派の人は、恐らく「努力して成功できた人」か、「成功できると信じて努力している最中の人」。
「努力したって報われやしない」派の人は、恐らく「努力したけど成功できなかった人」か、「そもそも報われないなんてヤダから努力してない人」。
※この記事では、「成功=自分の望むものを手に入れること」と定義します。
努力すれば報われるー
この言葉は、努力したけど成功できなかった人にとっては酷ですよね。
だって、努力すれば報われるのが100%本当だとしたら、報われなかった=自分の努力が足りなかったっていうことになってしまう。
でも、努力しても叶わないことはある。
決して努力が足りなかったとは限らない。
努力、才能、運ー
自分の望むものを手に入れられるかどうかは、いろんなものに左右される。
だから、むしろ努力は十分すぎるほどだったかもしれない。
たまたまツイてなかっただけかもしれない。
たまたまタイミングが合わなかっただけかもしれない。
なんにも努力してないのに「努力したって報われやしない」とボヤいている人は放っておいて(放置してごめんなさい、でも画面の前のあなたは何かしら努力してきた人だと信じています)、結構それなりに努力したのに、努力が実らなかったから「努力したって報われやしない」派になってしまった人。
そんな人には、「オレ/アタイはどうせ性格が曲がったイヤな奴だよフンッ」ってなるのではなくて、むしろ自分を称えてほしい、というか称えるべきだと思います。だって挑戦したのだから。努力したのだから。
報われなかったとしたら、どうする?
努力が報われなかった。
努力しても、自分の望むものが手に入らなかった。
こんな経験は、誰かしら、なにかしらあるのではないでしょうか。
努力が報われなかったときの反応は人それぞれ。
たとえば...
- 努力なんてクソくらえと自暴自棄になる
- 自暴自棄にはならないが失望して努力する気力を失う
- 努力が足りなかったと自分を責める
- ツイてなかった、ご縁がなかった、仕方ないと気持ちを切り替える
- そもそもそこまでほしくなかったと自分に言い聞かせる
- 結果はどうあれ、努力した自分を称える
- なぜ報われなかったのか考え、再び努力する。報われるまで食らいつく
- 他に「望むもの」を見つけて、新たに努力する
みなさんは、今まで努力しても報われなかったとき、どのような反応をすることが多かったですか?
最初は起き上がりこぼし的に何度も立ち上がって頑張っていたとしても、あまりにも報われないことが続いて気力を失ってしまった?
今も挑戦中だけど、最近自信がなくなってきた?
正しい反応はないけれど、1つ言えることは、報われなかったといって、自分が望むものが手に入らなかったからといって、自分が望んでいたものをほんとはほしくなかったと言い聞かせることは、たぶん慰めにはならないということ。むしろもっと虚しくなってしまうのではと思います。
だって、自分が心から望んでいたものを否定するなんて虚しい。たとえ今はもう本当に心から望んでいなかったとしても、1度は望んだことがあるなら、その想いはその想いとして心の奥にそっとしまっておけばいい。どうしても苦しいのなら放り投げてもいいけれど、望んだものに向かって頑張ったという自分の努力だけは捨てないでほしい。
※お前誰だよって感じですよね、誠にスイマメン...(credit goes to ジョイマン)
つまるところ言いたいのは、努力が報われなかったとしても、努力したこと自体をまずは認めてあげようぜベイベってことです!完璧主義な人は、「もっと努力すれば...」と自分の努力不足のせいにしてしまいがちかもですが、自分が望むものを手に入れることってそう簡単じゃないし、努力だけじゃどうにもならないこともある。それに、今は手に入れられなかったとしても、将来手に入れられるタイミングが来るかもしれない。だから、まずは報われなかったけど努力した自分お疲れパーティーをしましょう!
※結果がすべて信者に怒られそうですが、人生の結果なんてどうせ一緒です。どうせ「いつかは天に召される」という結果が待ち受けているのなら、その道中にある細かい結果に一喜一憂しても仕方がない。それぐらい肩の力を抜いてみたほうが、結果いろいろうまくいく気がします。
もし今は自分お疲れパーティーの気分じゃないよってときは、気の済むまで泣いて泣いて泣いて、それでも気が済まなかったら期限を決めて、その期限が来るまでは自暴自棄になるのもアリかもしれません。ただ、最終的には努力した自分を称えるステージに辿り着いてほしいなと思います。
そしてその後どうするかは自分次第。
なぜ報われなかったのか考え、再び努力するもよし。
他に「望むもの」を見つけて、新たに努力するもよし。
もし努力する対象を変えるのであれば、あとでなるべく後悔しないように。
やっぱりあれのために頑張り続けていればよかったって、あとで思うのは辛い。
まあそのときにまた頑張りはじめればいいのかもしれませんがね!
努力のアウトカムは、望むものを手に入れることか?
そもそも、努力が報われなかったことで落ち込むとしたら、それは努力のアウトカム=成功(望むものを手に入れること)だと思っているからかもしれません。言い換えると、成功するために努力しているから、成功しなかったときに落ち込むのかもしれない。
何のために努力するかは人それぞれ。
たとえば...
A. ある人は、想いを寄せるあの人に振り向いてもらうために努力する
→望むものは「両想い」(そしてそれによって得られる心の充足感)
B. ある人は、仕事で成果を出して昇進するために努力する
→望むものは「昇進」(そしてそれによって得られる富と地位)
C. ある人は、自分の夢を叶えるために努力する
→望むものは「夢の実現」(そしてそれによって得られる達成感と自信)
想像してみてください。
もし想いを寄せるあの人にフラれたら。
もし同僚は昇進したのに自分だけ昇進できなかったら。
もし必死に頑張ってきたのに虚しくも夢に破れたら。
辛い、辛すぎる...
でも、なんで辛いのでしょうか?
辛いから辛いに決まってんだろボケ!って感じですが、辛い理由は、望むものが手に入らなかったという結果だけを見ているから。
望むものが手に入らなかったとしても、努力すること自体が楽しかった場合は?
あの人に振り向いてもらうために、友達に付き合ってもらってデートのための服選びをした時間。職場で認めてもらうために、同僚と一緒に夜遅くまで肩を並べて仕事をしたり、仕事帰りに飲みに行って希望やら愚痴やらを語った時間。夢が叶った瞬間を妄想しながら、必死に深夜まで打ち込んだ時間。
努力する中では、辛いことだけじゃなくて、楽しいこともあったはず。
その瞬間は辛いと思っていた時間さえ、あとになったら「あのときはなんだかんだ楽しかったな」って思うかもしれない。はたまた、もしかしたら望むものを手に入れることに必死すぎて、楽しむ余裕なんてなかったかもしれない。
努力すること自体が楽しいかどうかは、その人の性格や楽しもうとする姿勢にも左右されると思います。わたしはどちらかというと、楽しむというよりは真面目に取り組もうとして疲れてしまうことが多いので、もっと楽しもうとする精神も大事にしたいなって思います。
そして、努力すること自体が楽しいと思えるかどうかを左右するもっとも大きな?要因は、たぶん「人」。1人ではなく誰かとやること、そして誰とやるかということ。
努力が報われなかったということは、努力を開始した時点でもともと望んでいたものが手に入らなかったということ。でも、努力する過程で不本意に手に入ったものがなにかしらあるはず。
努力を通じて得られた成長、失敗、学び、一緒に苦楽を共にした仲間。
1人で努力することで得られることもたくさんあるけれど(1人で努力していたつもりでも、陰でひっそり支えてくれている人の存在は(あるとすれば)忘れないでおきたい)、誰かと打ち込むことで得られる仲間というのは、報われたかどうかは関係なしに、挑戦が終わったあともきっと続いていく。
報われないリスクを恐れる人にとって、報われなかったとしても努力した時間をムダだと思わずむしろよかったと思えるようになるコツは、1人じゃなくて誰かと一緒にやることなのかもしれませんね!
「報われない努力」との向き合いかたは?
努力は報われるに越したことはない。
でも、それでも報われないこともある。
そんな中で、たとえ報われなかったとしても努力する気力を奮い立たせるコツがあるとしたら、それはなんなのでしょうか。
この記事で考えてきたことをまとめると、次の3つかなと!
ー 報われない努力との向き合いかた ー
1. 努力そのものを楽しむ
2. 誰かと取り組む
3. 不本意に手に入れたものを大切にする
さいごに...
巷では、夢を追う系の映画の黄金ルールとして、こんなものがあるみたいです。↓
夢を追う主人公が最後に手にするのは、夢ではなく「仲間」
カールじいさんの空飛ぶ家でも、じいさんのもともとの夢は「妻との世界一周旅行」でした。そしてそのために、今は亡き妻との思い出が詰まった家に風船をたくさんつけて、家ごと世界一周しようというクレイジーな挑戦に挑みます。
しかし、最終的にじいさんが手に入れたのは、ひょんなことから一緒に旅することになった男の子との絆。
ちょっとベタですが、人生においてもそういうことなんだろうな、と思います。
だから、夢を追うために1人で必死に走って、周りの人も疎かにしているような人にはなりたくないな、とつくづく思います。
ということで、報われない努力と向き合っているかたにとって、少しでも報われない努力との付き合いかたについてヒントとなれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではではっ!