みなさん、こんばんは!
先日28歳の誕生日を迎えました。
27歳の1年間は、「書いてるヒマがあったら行動しなきゃ」と思って、しばらくブログを書くことから離れてしまっていました。でも、自分にとって書くことはストレス発散も同然。頭の整理にもなるし。
ということで、28歳はもっと内省する(=書く)時間を増やしたいと思います。
お付き合いのほど、よろしくお願いします!
27歳は、可能性を広げた1年間
27歳は、可能性を広げた1年でした。
スタートアップでの仕事に加え...
・気になっていたNGO団体でのボランティアを開始
・サステナビリティ関連の副業を開始
・脚本スクールを再開
...と、4足のわらじを履く日々。
本業以外で自分がやりたかったこと/やってみたかったことを始められたことで、精神衛生面でプラスの効果を得られました。
去年の前半は、「今は本業に集中しなきゃ」と、自分の興味があることをなかば諦めていたのですが、結果的にボランティアや副業を始められたことで、「自分が今いる世界がすべてではない」という当たり前だけど忘れてしまいがちなことに気付けたので、とてもよかったです。
「自分が今いる世界=すべて」だと、今いる世界でうまくいかなかったとき、路頭に迷うというか、もはや絶望ですよね。でも、「自分が今いる世界」を増やすことで、世界Aでうまくいかなかったときも、世界Bでうまくいっていれば、心はなんとか保てるものの。
ただ、4足のわらじで日々過ごす中で、疲弊してしまった感も否めません。
色々なことがタスク化してしまって、わくわくよりも義務で仕事する日々。
趣味で始めたはずの脚本でさえも、いつの間にか「プロの脚本家になってみたい」という欲が芽生えたせいで、楽しんで書くというよりも、コンクールの締め切りめがけて一心不乱に書くみたいな状態になっていました。
そうこうしているうちに、
「わたし、幸せなんだっけ?」
と自問自答する回数が増えました。
幸せの定義として、「そもそも幸せなんだっけ?なんて思わない状態=幸せ」かなあと勝手に思い込んでいるので、「わたし、幸せなんだっけ?」という問いが心に浮かんでくるたびに、「あちゃー、自分今幸せじゃないんだなー」と思ってしまいます。
ただ、思い返してみれば楽しかったこともたくさんある。
「幸せじゃないぶーぶー」なんて言ってるヒマがあれば、楽しかったことたちに感謝すべきとも思う。
だから、「幸せか幸せじゃないか」というより、「幸せを感じられたか感じられてないか」なんだと思います。
幸せを感じる心のセンサーが鈍っているというか、壊れているというか。
そして鈍っている最大の原因は、やっぱり余裕がないからかなあと思うのです。
今すべき1番のことは、恐らく「何にエネルギーを注ぐのか」の優先順位をつけて、何かをやめるなり減らすなりすること。
ただ、応急措置としてできることは、たぶん幸せの3行日記(名称うさんくさい?笑)
心理学者の先生が書いた『3つの幸福』という本に、1日のうち幸せだったことを3行書く習慣をつけるといいと書いてありました。
数日間だけやったことがあるのですが、たしかに見返してみると「意外といいことあったんだなあ、なんだ幸せじゃん!めそめそすんな自分!」と思えていい感じでした。
なので、幸せの3行日記をまた再開したいと思います。
人生が何度もあるならいいけれど... 幸せの裏返しは後悔?
何に時間とエネルギーを注ぐのか。
これって、幸せに直結する質問じゃないかと思うんです。
言い換えれば、後悔に直結する質問ともいえるかもしれない。
有名ですが... 死ぬときに後悔する5つのこと:
自分に正直な人生を生きればよかった(見栄や他人の目を気にせず)
働きすぎなければよかった
思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
友人と連絡を取り続ければよかった
幸せをあきらめなければよかった
20代のうちに「働きすぎなければよかった」を心配しているようじゃ、うまく成長できないしうまく稼げないかもしれません。
ただ、20代だろうが80代だろうが、人生いつ死ぬなんてわからない。
確率で言ったら若者の方が明日も生きられる確率が高いかもしれないけど、いつ事故に遇うか病気になるかわからない。
だから、「働きすぎなければよかった」という点も、年齢に関係なく日々意識したほうがいいことなのではないかと思います。
それか、働くにしても、家族経営で何かするとか、仲良い友人同士で何か立ち上げるとか... 親しい人、大切な人と働くのが必ずしもいい結果につながるかはわかりませんが、少なくとも1日の大半を大切な人と過ごせるようになるのには変わりない(サラリーマンとして働く場合、大切な家族や友人とは限られた時間しか過ごせないからこそより大切さが際立つのかもしれませんが... あとは同僚が家族並みに大切っていうのも素敵ですが、それが過ぎると会社に入り浸って家族や友人との時間がおろそかになりそう…?)。
そうなんですよねえ、家族経営というか、そういうのやってみたいのです。
自分で/大切な人と何かを一緒に創り上げるって、すごくわくわくするよなあ...
(妄想タイムスターティンッ)
人生が何度もあるなら、老後の豊かな生活を夢見てサラリーマンとして60代まで必死に働いて... みたいな生き方も悪くないかもしれませんが、人生は1度きり。
となったときに、「果たして今自分がやっていることは本当に1度きりの人生でやりたいことだろうか」っていうのは、定期的に自問自答したいことなのかもしれません。
「はじめること」と「続けること」
これが大事という風に新卒に入社した会社で言われ、この言葉を大切にしてきました。
ただ、これと同じぐらい「やめること」も大切なんだろうなあと思う今日この頃。
「今仕事をやめて環境を変えても(あなたは)変わらない」
「ここでの課題は次の環境でも課題となり続ける」
みたいな言葉を言われたことがあり、それもそうだよなあと思います。
やめることは、「次のチャプターへ進むこと」でもあるけれど、しばしば「やめる=諦める、逃げるの同義語」みたいに捉えられがち。
環境のせいにせず、自分のせいにするというか、他責よりも自責というか。
他責思考の人は忌み嫌われ、自責思考の人は支持されるような社会。
他責思考よりも自責思考の方が「自分の発言や行動に責任を持てる人」的なニュアンスは確かにあるかもしれませんが、だからといってどんな環境でもめきめき成長したりのし上がれる人ばかりじゃない。
いい土壌や水、気候条件が揃わなければ枯れてしまう花があるように、人だっていい環境に恵まれなければ枯れてしまうこともある。
みんながみんな強い花じゃない。
強い花だけが美しいわけじゃない。
※ただいまの脳内BGMは、SMAPの「世界に一つだけの花」です。
環境のせいにするつもりはないけれど、環境のおかげだと思ったことはあります。
中学生のとき、インターナショナルスクールに通えたおかげで、今の自分があると思います。
だから、「環境のせいで自分はこうなった」っていうのは言い訳と思われるかもしれないけど、「環境によって枯れてしまう人がいる」のはありうる話だと思うし、「環境のおかげで自分はこうなった」というのもあると思うんです。
結局、自分にとってベストな環境とは?
さてさて、「じゃあ自分にとってベストな環境は一体なんなのさっ」って感じだと思うのですが、それがわかれば苦労しないんですよね~(質問提起しておいて回答ないヤツ...)
ただ、「自分がその環境をどう思うか」というよりも、自分のことを好きになれる環境かどうかが大切なのかなあなんて思ったり。
人生において身を置いている環境っていくつかありますよね。
物理的に住んでいる環境だったり家庭環境だったり職場環境だったり...
パートナー選びにあたって、「好きな相手というより、一緒にいて自分のことを好きになれる相手を選ぼうぜ」みたいな言葉がありますが、職場選びもそれに近いかもしれません。
一緒にいて辛いし特に人間的な成長も感じられないのに、「もっと頑張れるんじゃないか」とか「もっと自分が変われば」とか「こんなに時間もエネルギーも費やしてきたんだから、今さら別れるのはもったいない」とか...
恋愛においては、「もっと頑張れるんじゃないか」とか「もっと自分が変われば」とか「こんなに時間もエネルギーも費やしてきたんだから、今さら別れるのはもったいない」みたいなことをボヤいている友人がいたら、「さっさと別れなよ!」って言うだろうと思います。
でも、仕事となると不思議なことに、「もう少し踏ん張れば成長できるかもね」とか、「とりあえず○年頑張ってみたら?」とか、今の環境にステイすることを推すようなアドバイスをしてくる人もチラホラいると思います。
恋愛も仕事も、「やめること」そして「やめどきを見極めること」がなかなか難しい。
「本当にやめて後悔しないだろうか?」「もう少し耐えてみたほうがいいのでは?」
そんな思いが胸をよぎるはず。
そして、実際に「やめなくてよかった」と思うこともあると思います。
ただ、恋愛と同じように、仕事において「やめるべきか」を考えてるときにぜひ自問自答したいことは、たぶん「この仕事をしている自分のこと、好きかな?」ってこと。
もし答えがNOな場合、理由はいろいろだと思いますが、なぜNOなのかを掘り下げてみると、「やめるべきかどうか」への答えが見えてくるのではないかなあと思います。
そしてやめると決めたときは、潔くやめる...
※これを「ガラガラポンできる勇気」と呼ぶことにします。笑
旅行から帰ってきて明日からまた始まる日々に憂鬱な日曜の夜に書いた記事なので、多分明日の朝読み返したら恥ずかしいことがたくさん書いてあるかもしれないけれど、恋人にしろ職場にしろなんにしろ、「一緒にいて/そこにいて自分のことを好きになれるかどうか」っていう観点は大切にしたいなあと思います。
ではでは~!