みなさん、人生に息切れすることはありませんか?
東京に住んでいると、なんだかすごく時間に翻弄されて生きている気がするんです。
「時間がないは言い訳」ということは常々自分に言い聞かせているのですが、カナダにいたときと比べると、なんだか東京では時間の流れがすごく早い気がして...
時間があっという間に過ぎていく感が否めない。
楽しい時間はあっという間にすぎるというように、もしかしたら本当に人の感情次第で時の流れが早まったり遅くなったりして(笑)。
というおふざけはここまでにするとして...
今日は、時間に翻弄されずに生きるということについて書きます。
I. 時間の過ごし方を支配する、期限というオバケ
時間があっという間に過ぎていくー
この感覚って、「時間はなくなるもの」という考えからくるのではないでしょうか。
1日24時間ー
24時間「しかない」と捉えるのか、24時間「もある」と捉えるのかは人によって違いますが、会社員として働いていると、「いかに24時間を効率よく過ごすか」みたいな効率性の部分に目がいきがちな気がします。
24時間という限られた時間の中で、少しでも多くを成し遂げようと必死になる。そして多くを成し遂げるために、それぞれのタスクに期限を設けて、期限までになんとか終わらせようと必死になる。そして期限切れのタスクが増えるにつれ、ストレスも増える。
時間という概念をつくったからこそ、期限という概念が生まれた。
そして期限という概念に人は取りつかれているような気がします。
期限という概念を全否定しているわけではないんです。
期限がなければむしろ人はいつまで経っても仕事を終わらせないかもしれないし、仕事が終わらないということは、わたしたちの生活上で何かしらの支障が起きる。
コンビニに行っても商品がまだ出荷されていないとか...
期限があるからこそ人は行動する。
だけど、期限に縛られすぎると、期限のあるもので心が埋め尽くされていって、期限がないものが後回しになっていってしまう。
そして何が起こるかというと...
時間の使い方を、期限が支配してしまう。
「何にどれだけ時間を割くか」という優先順位が、期限で決めらてしまう。
自分が生まれてから死ぬまでに与えられた時間は限られているからこそ、限られた時間の中で「何にどれだけ時間を割くか」についての優先順位は、とても大切。
だけど、「自分が生まれてから死ぬまでの時間」ではなく「24時間」のうちに、いかに期限に間に合うようにタスクをこなすかで必死になりがち。そしてそのタスクの中身はやらなきゃいけないこと、やりたくないことの比重が結構多くて、本当にやりたいこと、やりたかったことがだんだんと見えなくなる。
人生まだまだ長いと思いがちですが、そもそも「今この瞬間から死ぬまでの時間」が24時間より短いことだってありうる。人生本当にいつどうなるかわからないから。
そもそもやりたいことが何なのかわからないっていう人もいると思うけれど、やりたくないことが何なのかは、大体の人がわかってる。
「自分が本当に望む24時間の過ごし方」の内訳がわからなかったとしても。
II. やりたいことを見つけるよりも大切なこと
今の時代(と偉そうに言うても1994年に生まれる前の時代のことはよく知らないのですが...)、というか今の日本では、もちろん貧富の差があるけれど、全体的に「やりたいことをして生きよう」っていう風潮がある気がします。
与えられた仕事が自分のやりたいことになる、というよりかは、自分がやりたいことを仕事にしたい、という感じ。
団塊世代の方々からは、「やりたくないことを誰かがやらなきゃ社会は回らないんじゃボケ!」と言われそうですが...笑
やりたくないことは、誰かに丸投げしたり自分が犠牲になってやったりするというよりは、むしろみんなで分担すればいいんだと思います。
(今の段階ではまだまだ分担できる体制が整っていないかもしれませんが、ロボットが社会進出を果たせば、やりたくないことはロボットに任せたり分担するなりっていうことが今よりもっとできるようになると推測しております。結局ロボットにやらせるんかいって話ですが...笑)
個人的には、1人でも多くの人が「やりたいことを選んで生きられる世界」っていうのはなかなか素敵なんじゃないかと思っています。
ただ、同時に「やりたいことを見つけなきゃ」みたいな見えないプレッシャーが若者に降り注いでいるような気もします。
やりたいことを見つけるのは、あくまでも手段であって、目的ではない。
人生の目的なんて決められているわけではありませんが、人生の最後に後悔したくないって気持ちは、誰しも1度は抱いたことがあるのではないでしょうか。
※ちなみに人生の意味とかほにゃららについてはこの記事で詳しく書いています⇒『23歳でやっと気づいた「生きる意味探し」より大切なコト』:https://yuzubaby.hatenablog.com/entry/2018/02/25/110556
だから、やりたいことを見つけるというのは、人生の最後に後悔しないための1つの手段にすぎなくて。やりたいことを見つけようとする前に、そもそも後悔のない人生を送るためには、どんな時間の過ごし方がいいんだろうって考えてみることの方が、大切だったりするかもしれません。
「やりたいこと」ベースで考えると、どうしても目先の成果に囚われてしまうかもしれないし。
今期は売上で1位を獲ろうとか、○月までにダイエットしようとか。
※もちろんこれも立派なことですけどね!
だから、期限に追われている人、やりたいことを見つけなきゃというプレッシャーに追われている人に伝えたいメッセージとしては...
期限もやりたいことも、一旦忘れてみてください(せめて今だけでも)。
期限を守るために生きているわけでも、やりたいことを見つけるために生きているわけでもないから。
そして、後悔しないためにはどんな時間の過ごし方をしたいか、を考えてみてください。
諦めていた夢をもう1度追いかける、とか、家族とのんびり談笑しながらこたつで過ごす、とか、友達と温泉旅行に出かけて朝までおしゃべりする、とか...
なんでもいいんです。
III. 後悔しない時間の過ごし方とは。
ちなみにですが...
自分は今までいろんな人の「後悔」を見てきました。
仕事に時間を割きすぎて、もっと家族と楽しい時間を過ごせばよかったと悔やむ人。
実りない結婚生活に時間を割きすぎて、もっと違う人生を過ごしたかったと悔やむ人。
自分さえよければいいと娯楽に時間を割きすぎて、大切な家族を失って悔やむ人。
そんな中で、自分が現時点で考える「後悔しない時間の過ごし方」とは...
「誰かのために生きる」でも「自分のために生きる」でもなく、誰かと自分の間に境界線がなくなった状態のまま生きること。つまり、誰かのためにやることは自分の幸せでもあって、自分のためにやることが誰かの幸せにもなる。どっちが先とかではなく、どっちも同時に。
まずは自分が幸せになってからじゃないと、誰かを幸せにできない、とかよく聞きますが、半分賛成するし半分違うとも思います。
確かに自分が幸せなときは、周りの人にも幸せになってほしいみたいな心理が働くものかもしれませんが、人の欲なんてどうせ果てしないものだから、自分が幸せになってから誰かを幸せにしようなんてスタンスでいたら、誰かを幸せにする前に人生が終わってしまいそうな気がします。
ただ、自分のことはそっちのけで周りの人を幸せにしようと必死になっても、なんかうまくいかない気もします。そもそも自分がやっていることはありがた迷惑かもしれないし、必ずしも相手から感謝されるわけでもないし(感謝のためにそもそもやってたんかいっていうのもありますが)。周りの人を幸せにしようっていう感情自体は素晴らしいものですが、あまりにもその度合いがすぎると、自分の幸せを相手に依存してしまうというか... 相手のために何かをしたいという感情が、ヒーロー的思考からくるものなのか、自己犠牲精神からくるものなのか、奉仕精神からくるものなのかは別として、相手が幸せにならないと、「なんでよ!」みたいな謎の憤りが生まれそうです。
だから、誰かのために人生を100%捧げるわけでもなく、自分のために時間を100%費やすわけでもなく、誰かの苦しみを自分ごとのように捉えて行動することができて、自分の幸せを1人占めせず誰かと共有することができる。
自分も周りも大切にする。
そんな人生を過ごしたいものですね!
後記:今ふと思いましたが、1人1人が尖った人間(名付けてとんがりコーン!)になろうと必死に努力して周りと背の高さを競争する世界よりも、1人1人がとんがりコーンを夢見つつ、困っているとんがりコーンがいたら助ける... そんな底上げ型な世界が好きです。ちょっと意味がわからない例でごめんなさい...笑 個人が目立つ世界は大いに素敵ですが、そんな中でも助け合いの精神とか、互いを称え合う精神とか、そんなものが続けばいいなーと!
▼ちなみに本日のおすすめ映画/ミュージックはこちらです。
https://www.youtube.com/watch?v=uIWypArI73w&list=RDMMuIWypArI73w&start_radio=1