北極星のみつけかた|yuzubaby

自称宇宙人のゆとり世代が書く雑記ブログです。

北極星のみつけかた

ゼミの先生が「社会的弱者」という言葉は使うなと言っていたワケ

「社会的弱者は嫌いだ」

 

いわゆる「国際協力」に関心をもっていた意識高い系だったわたしは、「社会的弱者は嫌いだ」という大学時代のゼミ教授の言葉の意味がよくわからなかった。

 

だけど、自分なりに教授の言葉がちょっとわかった気がした。

今日はその心理について書いてみます。

 

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「弱者」と言われていい気はしない

 

確かに「弱者」という言葉はちょっとひどいと思う。

 

「お前は俺より弱い立場にいる」という暗黙のトーンが隠れているから。悪気はないかもしれないけど、弱虫って言われたら嫌な気持ちがするのと同じで、弱者って言われたら、言われた方はいい気はしないだろう。

 

ただ、社会には貧困の人とか難民の人とかがいるわけで、その人たちのことを「弱者」と呼ぶのはやめた方がいいにしても、その人たちが何かしらのサポートを必要としていることに変わりはないのでは、と思っていた。

 

確かに、自分次第で人生は一定レベルまでなんとかなるのかもしれない。

運と才能にどれだけ恵まれるか次第で、必要な努力の量は人によって違ってくるかもしれないし、それを不平等だと嘆くことはいくらでもできる。

ただ、残念なことに、不平等だと嘆いたところで、事態が好転することはない。

それでも事態を好転させるために頑張るのか諦めるのかは自分次第。

 

「人生は自分次第」

 

この言葉って、すごくありがたくて、すごく冷酷だと思う。

ありがたい理由は、自分次第でどうとでもなると思えるから。

どんなに運にも才能にも恵まれなくても、努力し続けようと思えるから。

 

すごく冷酷な理由は、なんか突き放した感があるから。

確かに自分次第かもしれないけど、自分だけじゃどうにもできないときもある。

誰かに支えてほしいときもある。

誰かに弱音を吐きたくなるときもある。

誰かに手を差し伸べられて、機会を与えてもらって、初めて開花できるときもある。

 

だから、人生は基本的には自分次第だけど、「自分次第だ」と思えるようになるまでには誰かの励ましが必要かもしれないし、「自分次第だ」と思えるようになった後も、時には誰かの支えが必要なときもある。

 

「他人の力をあてにする」のはあまりイケてないけれど、「他人の力を必要とする」こと自体は別に悪いことではないというか、悪いことだったとしても、人間だもの、誰かの力を必要とすることだってある。

 

友達が前にインスタで送ってくれた画像には、こうあった。

「日本では、人様になるべく迷惑をかけずに生きなさいと教える。インドでは、人様にどうせ迷惑をかけるのだから、自分も相手を許せる人になりなさいと教える」

 

他人の力をあてにする人 vs 他人の力を必要とする人

 

「社会的弱者は嫌いだ」という大学教授の言葉を自分なりに噛み砕いた結果、きっと先生が本当に言いたかったことは、こういうことかなあと思った。

 

他人の力をあてにしてばかりで自分で努力しない人は嫌いだ

 

全然違うかもしれないけど。違ったらごめんなさい先生...

 

先生と同じく、自分も他人の力をあてにしてばかりの人は好きじゃない。

 

だけど、もしかしたら善意または偽善から生まれた「社会的弱者」というレッテルを誰かに貼るからこそ、貼られた人は他人の力をあてにするようになってしまうのかもしれない。

 

前にどこかで、恋人に浮気してほしくなければ、「浮気しないでね」じゃなくて「信じてるからね」と言った方がよっぽど効果的って聞いた。

 

なぜなら、「浮気しないでね」っていう言葉を言われた側からしてみれば、「(あなたは浮気する可能性がありそうだから)浮気しないでね」って疑われている気分になるから。浮気しないでと言った側にはそんなつもりはなかったとしても。

 

で、多分これって「社会的弱者」の話にも通づるのかもなって。

 

「社会的弱者を助けないと」って言葉には、「(あなたは社会的にみて弱い立場にいる人だから)助けないと」って意味合いが紛れてる。言われた側からしてみれば、「自分は社会的に弱い立場にいる人なんだ」って認識してしまうきっかけになるし、そんな認識をもってしまったら、「だったら自分は誰かに守られるべき存在なんだ」とか「自分はどうせ弱い人間だから自分の力じゃ何もできない...」と思ってしまうきっかけになる。

 

大学教授が一体どんな想いを抱いて「社会的弱者は嫌いだ」と言っていたのかはわからないけど、もしかしたら先生は、ネガティブな言葉が人に与える影響を痛いほど知っていたのかもしれない。別に国語辞典の定義で「社会的弱者」とされている人たちのことを本当に嫌っていたわけではなく、誰かのことを「社会的弱者」と呼ぶことで、その人たちから自信ややる気を失ってしまうことを恐れていたからこそ、「社会的弱者は嫌いだ」と言っていたのかもしれない。

 

大人になってもまだまだ未熟だけど、学生のときの自分はもっと未熟だった。

言葉をそのまま解釈していて、その言葉のウラにひっそり隠された意図についてなんて考えていなかった。

ただ、言葉の意味と言葉の意図は違う。

 

言葉の意味=辞書に書いてある一般的な意味

言葉の意図=その人が本当に伝えたかったこと

 

だから、「社会的弱者は嫌い」っていう大学教授の言葉が当時はあまり理解できなかったけど、今になったら、少し理解できる気がする。

 

それは決して「社会的弱者と呼ばれている人が嫌い」というわけではなくて、「社会的弱者と誰かを呼ぶことのリスクが怖い」から。

 

幸せか幸せじゃないかを決めるのは自分

 

なんでこんな記事を書いたかというと、自分は幸せだと思って生きているのに、「あなたは幸せじゃない。だから幸せにならなきゃ」って誰かに強要されることって息苦しいなって思ったから。

 

あと数か月で26歳になるけど独身な自分に対して、結婚しなきゃ、みたいな言葉を身内に言われることがある。それは本当に自分のことを心配して言ってくれているだけなんだけど、心配してくれてるだけなんだって頭ではわかってるけど、「結婚しなきゃ(幸せになれない)」って言われてるような気がして。今は仕事に集中してるし、プライベートで友達と趣味を満喫できればそれでいい。

 

だから、決してすべてがうまくいっているわけではなくても、自分としてはすごく満足して生きているつもりだった。だけどそんな中で「まだ結婚しないの。結婚しないと幸せになれないでしょ」みたいに言われるのはなんだか違和感で...

 

もちろん結婚自体はしたいと思うけれど、結婚したら幸せになれるとは思っていない。結婚はあくまでもはじまりにすぎなくて、はじまった後に幸せと感じられるかどうかは、それこそ自分と相手次第。それに、少なくとも今は独身でも十分幸せだと思う。強がりかもしれないけれど、強がっていたとしても、孤独に感じる今だからこそできることってあると思う。

 

話がちょっと脱線したけれど、結婚しなきゃ幸せになれないっていうレッテルを貼られるのが嫌で、そんなレッテルを貼ろうと誰かに追いかけられると、逆に逃げたくなるというか、逆に結婚したくなくなる。

 

そんな経験を経たからこそ、「社会的弱者」とレッテルを貼られる人は嫌だろうなって思った。もしかしたら社会的弱者というレッテルを貼られるうちにそれに慣れてしまって何も感じない人もいるのかもしれないけれど。

 

そんなこんなで謎にプライベートな話になってしまいましたが、多分伝えたいことは、ただ1つ。

 

安易に他人にレッテルを貼るのはいろいろリスクってこと。

 

さてさて、難しい話はここまでにするとして、Official髭男dismの歌声に癒されながら残りわずかな土曜日を楽しむことにします!(って言おうとしたらもう土曜日終わってました... 午前0時1分でした...)

 

写真の参照元

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