みなさんは、今の環境に満足していますか?
それとも新しい環境に飛び込んでみたいと思っていますか?
日本人の真面目な気質のせいか、「新しい環境に飛び込む=今の環境から逃げること」と捉えられてしまうことが多々ある気がします。
そこで、今日の記事では、新しい環境に飛び込むかどうか迷っているときに考えたいことをまとめてみました。
新しい環境に飛び込もうかどうか悩んでいる方にとって、ヒントをもたらせれば幸いです!
※Photo credit: Blake Cheek (https://unsplash.com/photos/GNk9IAiIvrg)
今転職したら、何も変わらない?
最近キャリアについて考える上で、頭の中を渦巻いている言葉があります。
「今転職したら何も変わらないと思うけどね」
これは、新卒で入社したITコンサルティング会社の上司に言われたこと。
多分、苦しい状況から逃げても自分を変えることはできないってことを言いたかったのだと思います。
苦しい状況にいるとき、逃げるか戦うか。
英語でいうと、Fight or Flight。
ポケモンでいうと、手ごわい敵に遭遇したとき「にげだす」ボタンを押すかどうか。
今までの自分は、ずばり「逃げる人」でした。
理由は、純粋に耐えられなかったから。
そして、逃げた結果、人生が好転した原体験があったから。
もしかしたら、耐えようと思えば耐えれたのかもしれません。
でも、自分の心の声を押し殺して耐えることに、一体なんの意味があるのか?
って思ってしまうのです。
よくも悪くも、無意味に耐えることが馬鹿らしく感じてしまうのです。
耐えることで、耐えないことよりもいい未来が待っているという確信が持てれば、耐えられたのかもしれません。
でも、耐えた先にどんな未来が待っているのかがぼやけていたり、耐えたところでいい未来が待っていなさそうな予感がしたら、耐えることにあまり意味を感じない。
自分の心の声がデフォルトで大きすぎるのか、
自分の心の声をキャッチするアンテナが敏感すぎるのか、
ただ単に忍耐力がないのか。
答えはわかりませんが、多分どれも正しいんだと思います。
さて、逃げた結果どうなったのか?
基本的には、逃げてよかったと思うことの方が多いです。
もちろん、後悔することもあります。
逃げなければよかったかな、と思うこともあります。
でも、耐えた者にしか見れない未来があるなら、逃げた者にしか見えない未来もある。
どっちの未来の方がよかったかなんて、後になってみないとわからないし、後になってみてもわからないけれど、1つ言えることは、人生のなにもかもがどうでもよくなるぐらいメンタルが落ち込んでしまっているのなら、多分逃げた方がいいということ。
だって、命よりも大切なものなんてないから。
成長と命のどちらが大切かと聞かれたら、わたしは間違いなく後者を選びます。
生きている限りはいつでも成長できるけれど、心が死んでしまったら、成長なんてできないから。
「環境を変えても、自分が変わらないと、何も変わらない。」
こういった類の言葉はよく聞くかと思います。
この言葉は半分正しくて、半分間違っていると思います。
というのも、いくら環境を変えても自分が変わらないのであれば意味がないのは確かだけれど、とはいえ人は環境の影響を多かれ少なかれ受けることも、また事実だから。
というか、人は常に環境に影響を受けるものだと思うので、環境を変えて変わらない人なんていないんじゃないかとも思うのです。
「環境を変えても、自分が変わらないと、何も変わらない。」
この言葉が言いたいことは、おそらく、周りのせいにばかりしてないで、自分次第で環境を変えられるんだぜ!だから、環境を変えようとする前に、まずは自分ができることをしようぜ!って感じの意味だと思っているのですが...
ある程度頑張ってみても「やっぱムリだ」って思ったら、環境を変えるのって、アリだと思うんですよね。というか、環境を変えることの方がエネルギーのいることかもしれません。
そう考えると、
「環境を変えても、自分が変わらないと、何も変わらない。」
この言葉は、新しい環境に飛び込むことを恐れている人にとっての言い訳とも取れるかもしれません。
結局、環境を変えるべき?変えないべき?
ここまで「環境を変えること」の肯定と否定を繰り返してきましたが、もし今この記事を読んでくださっている方の中で「環境を変えること」に対して二の足を踏んでいる方がいるとすれば...
①人生なにもかもどうでもいいと毎日考えるぐらい今の環境に疲労困憊しているか?
②環境を変えることで周りから後ろ指をさされようと、そんなの関係ねえ!
もし①か②のいずれかに該当するとしたら、環境を変えてもいいんじゃないかな、と思います(無責任な発言その1...)。
ただ、もし①と②のどちらにも該当しないのであれば、今すぐ決断を焦らなくても、周りで環境を変えた人に話を聞いてみるなり、ちょっと遠くの場所へ出かけてゆっくり考える時間を作るなりしてみてもいいのかなあと思います(無責任な発言その2...)。
やりたいことが、その環境でできるのか?
「色々うんちく垂れてるけど、お前誰だよ!お前はどうなんだよ!」
と思われたみなさん。よくぞ聞いてくれました!笑
わたしはですね...
・国際協力の仕事を志す学生時代
↓
・ITコンサルティング会社
↓
・スタートアップ(今ココ)
という状況なのですが、スタートアップから、もともと関心のあった国際協力系の分野に回帰したいと考えている今日この頃です。
そしてそんな中で呼び起こされるのは、現スタートアップへの転職前に、前職の上司から言われたこの言葉ー
「今転職したら何も変わらないと思うけどね」
この言葉は、今までの人生において納得がいなかったら常に環境を変えてきた自分にとっては、とてもありがたい言葉です。
この言葉のおかげで、今のスタートアップで辛いことがあっても耐えられました。
また転職して環境を変えたら、自分は一生変わらない。
だからもう少し頑張ろう。
もう20代後半の(ハタから見たら)立派な大人なんだから、環境のせいにするのではなく、いいことも悪いことも自分ごととして捉えて、自分で変えていく、自分が変わっていく努力をしよう。
そう思っていましたが、最近ふと思ったことがあります。
それは...
環境を変えるのに躊躇している理由は、
ただ単に負けを認めたくないだけなのかも?
ということ。
もともと、ビジネスの世界で修行を積んだら国際協力の分野に軸足を移そうとは考えていました。
そして、今はまだ修行を積み切れていないと感じています。
だからこそ、ビジネスの世界で、スタートアップの世界で、もう少し頑張ろうと思っていました(思っています)。
ただ、ビジネスの世界と国際協力の世界では、求められるスキルや経験が違うだろうし、ビジネスでの経験が国際協力の分野にも活きるであろうという希望的観測を抱きつつもも、国際協力の分野で活躍している方々を見ていると、遠回りせずに飛び込んでしまった方がいいんじゃないかと思うこともあります。
結局、ビジネスの世界でパフォーマンスを発揮しきれていない自分への劣等感から、こんな言い訳を並べているだけだとは思うのですが、同時に、適材適所っていうものもあるんだろうなあと思う日々。
「スタートアップでのマーケター」というポジションが自分に向いていないかもしれないと弱気になる中で、「向いてないからやめよ!」っていう決断をするのは無責任な気がします。ただ、無責任というよりは、もしかしたら「向いていなかった」という現実を認めることが嫌なだけなのかもしれない、と思ったりもします。
死に物狂いで頑張れば「向いている」と胸を張って言えるぐらいまでに、スタートアップでのマーケターとして成長できるのかもしれませんが、死に物狂いで頑張れる/頑張りたい領域は、自分にとってはビジネスというよりやっぱり国際協力なんじゃないか、と思う日々。
国際協力をまともにやったことがないのに、偉そうなことは言えないのですが、だからこそ、学生時代からずっと関心があったのに遠回りして避けてきた国際協力の世界に飛び込みたいなあと最近思っています。
※ちなみに、わかりやすいように国際協力という言葉を使っていますが、国際協力という言葉に違和感を感じる方もいるかもしれません。具体的にやりたいのは、貧困家庭の子どもと難民の就学/就労支援です。日本・途上国限らず。
こう書いていて思い出すのは、数年前に美容師さんからもらった言葉。
やりたいことができているなら、今の環境が辛くても残った方がいいかもしれない。でも、やりたいことが見つかるまでは、環境を変え続けていいと思う。
環境を変えるか変えないかに迷ったら、コレを己に聞けばいいんじゃないかと。
やりたいことが明確にある場合は、やりたいことが今の環境でできているかどうか、自ら提案すればできるのかどうか。
やりたいことが何かわからないよって場合は、まさに環境を変える転機かもしれない。
だって、今の環境にモヤモヤを抱いているってことは、きっと今の環境で自分にどんぴしゃハマることができていないから。
自分にどんぴしゃハマるものが見つからなくても、安定したお給料をもらえるならそれでいいって場合は、別にそれでもいいと思うんです。皮肉とかではなく、本当に。
ただ、もし少しでもモヤモヤを感じていて、そのモヤモヤが年々大きくなっていくのを感じているのなら、環境を変える、そして変え続けるってことをしてみてもいいのかなあって。
そんなにコロコロ環境を変える人ばかりが増えたら、日本の経済回らないよ!
って思った方もいるかもしれません。
そうかもしれません。
でも、コロコロ環境を変えて、自分にとっての適材適所を見つけられる人が増えれば、それは結果的には個人にとっても社会にとってもいいことなんじゃないかと思うのです(キレイゴトでしょうか。確かにそうかもしれません。実際、社員がすぐに会社を辞める例が多発したら、採用コストとか教育コストとかがムダになるかもしれないですが、やる気のない窓際族が増えてコストに見合わない人件費が膨らんでいくよりは、よっぽどいいと信じています!)
最後に
環境を変えるか、変えないか。
変えるとしたら、どの環境を選ぶのか。
この問いに答えるとき、過去とつじつまを合わせようとしてしまうときがあります。
でも、生きている限り、自分の考えは流動的に変わるもの。
だから、過去とつじつまが合わない瞬間も出てくると思うんです。
そんなときは、無理につじつまを合わせなくてもいいと思うんです。
確かに一貫性があってブレない人生はキラキラしていてかっこよく見えます。
でも、脚本の先生が、人はその時々でベストな選択をする生き物で、ブレない生き方ができるのはイチロー選手と大谷翔平君ぐらいと言っていたように、ブレる人生も悪くないと思うのです。
ブレを楽しむというか。
新しい環境に飛び込むことは、逃げることであると同時に、人生を好転させるチャンスでもある。
今の環境に留まることは、自分が変わる/自分が環境を変えるチャンスであると同時に、今の環境に適応できなかった自分の負けを認めたくないだけかもしれない。
※そもそも環境に適応できなかったこと=負け、と紐づけるのではなく、環境に適応できなかったこと=合わなかっただけ、と捉えられるぐらいの風潮が生まれたら、もっと生きやすい世の中になるのかもしれません。
あと、最後に補足したいこととしては、環境を変えるか変えないかの2択で考えるのではなく、今の環境から新しい環境に軸足を移すという選択肢もあるということ。
金曜日の夜に深夜テンションでばーっと書いてしまいましたが、少しでも何かしらのヒントをもたらせたのなら嬉しくて夜も眠れません(多分寝るけど...)。
ではでは、いい週末をお過ごしください~!
また夢の中でお会いしましょう~!