北極星のみつけかた|yuzubaby

自称宇宙人のゆとり世代が書く雑記ブログです。

北極星のみつけかた

急性胃腸炎+海難1890で考えた、トルコと日本とクルド

Unrevealed Relationships among Turkey, Japan and Kurdistan

 

正論は正しいが、正論を武器にする奴は正しくない。お前が使っているのはどっちだ?

 

映画「図書館戦争」で岡田准一が放ったこのひとことは、当時大学生だった自分になんだかとても響きました。社会人2年目になってこの言葉を思い出したきっかけは、

 

ズバリ、急性胃腸炎です。笑

 

そして急性胃腸炎になって会社を休んだ今日は、ある人々に想いを馳せる日となりました。

 

I. 日本人現役社会人は自己負担30%

 

2018.05.29 8:00AM

朝起きて熱を測ると、39度の熱が...

そこで真っ先に考えたことは、

「診療代って実費かな?会社払ってくれるのかな?」

なんてよこしまな考えなんでしょう... 大人になるって怖いですね(大人の皆さんを敵に回した訳ではありませんごめんなさい。わたしも法令上は大人です)。

 

同僚に確認したところ、傷病休暇は使えても診療代は出ないようで、

「いつもあんなにお給料から健康保険組合代金が引かれてるのになんてこった」

とよこしまな考え第2弾を浮かばせつつ病院へ。

 

急性胃腸炎ということが判明し、優しいお医者さんに癒されながらも領収証を見ると、

 

そこには「自己負担額30%」の文字がありました。

 

診療代+薬代=約2,000円

 

高いと思ったかって?いやいや、そこまでケチじゃありませんよ!

 

そのとき脳裏をよぎったのは、

 

「診療代高いぜブーブー」

 

でもなく、

 

「まあ許容額だぜラッキー」

 

でもなく、

 

「風邪をひいても気軽に病院に行けない。医療費が100%だから。」

 

と言っていたある人々のことでした。その名もクルド人

 

クルド人とはトルコ、シリア、イラン、そしてイラク周辺に住んでいる「国家をもたない世界最大の民族」で、在日クルド人は1,000人以上(ほとんどの方が埼玉県蕨市に住んでいるため、蕨スタン(=ワラビスタン)との愛称で親しまれるほど)。在日クルド人は、ほとんどがトルコから来た方々です。

 

「国家を持たない民族」ってどういうこと?

 

という感じですが、たとえるとしたら、日本人という民族は存在するけど、日本という国はない。だから中国や韓国などの近隣国に住んでいる...

 

といったところでしょうか?

 

とにもかくにも、「国家を持たない民族」との括りで語り出したらキリがないのと、政治云々の話を持ち出して議論が紛糾するのもあれなので、「国家を持たない民族」という肩書きには注目しないことにします。

 

じゃあ何に注目するんじゃボケ!と思われた方...

 

何に注目するかというとですね...

 

ズバリ、医療費です。

 

在日クルド人の方々が風邪を引いたとして、病院に行ったとして...

 

いくら払うかというと、ズバリ自己負担額100%。

 

日本人であるわたしの本日の医療費自己負担額は30%(約2,000円)。

 

もしわたしが在日クルド人だったら...

 

(携帯の計算機を開いて計算中...)

 

なんと6,666円!

 

日本では合法で働くことを許可されていない在日クルド人の方々にとって、6,666円(場合によってはもちろんもっと高額)は相当な大金のはず。

 

...とまあ、病院の領収証を見たときの脳内はこんな感じでした。

 

クルドの方々と初めて会ったきっかけは、大学2年次に参加した「難民フットサル大会」というイベントでした。その名の通り、日本に住む難民の方だったり日本で難民申請をしている方だったりが集まるイベントです。本当に端的に言ってしまえば、トルコから来たクルド人は日本で難民申請をしているものの、今までで難民認定されたクルド人は0人。なぜかというとひとことでは言い表せないのですが、

 

トルコと日本は仲がいい

トルコから日本に来たクルド人を難民と認めることは、トルコを侮辱することになり、トルコと日本の友好関係にヒビが入りかねない

トルコから来たクルド人を難民とは認めない

 

こんな事情もあるようです。

(もともと日本は難民を受け入れない姿勢を貫いていて、一昨年2016年度の難民認定率は、たったの0.3%。難民申請をした10,901人のうち、難民認定をもらえたのは28人。)

 

 予め断っておきますが(急にカタイ口調になってすみません...)、難民認定すべきかすべきじゃないかを議論したいわけではなく、

 

ただただ違和感があったんです。

 

難民申請を取り巻く過程は複雑で、とにかく在日クルド人の方々は日本で働くことを許可されていなくて。働きたくても、そして特に悪さをしたわけでもないのに合法では働けない人々に、医療費自己負担額100%を強いるのは酷なんじゃないかって。こういう話になると、「税金を払ってないんだから当たり前だ」と主張してくる税金第一軍団が出てきがちですが、そもそも働くなと言われているのに税金を強いるのもどうかなあって。

 

「正論は正しいが、正論を武器にする奴は正しくない。」

 

映画「図書館戦争」で放たれるこの名ゼリフが再び思い浮かびました。

 

II. トルコと日本の秘話を描いた映画「海難1890

 

映画といえば、急性胃腸炎になった今日も大人しく映画を観ました。

 

会社を休んだくせに大人しく寝ずに映画を観るなんて不毛だろ!

 

そう思われた方、ごめんなさい... 上司の方々もごめんなさい... なかなか落ち着かずに眠れなかったので、あと映画館ではなくマイホームなのでお許しを...

 

トルコと日本の友好125周年を記念して作られた映画「海難1890」。

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映画は「トルコと日本がなぜ仲良しになったのか」を紐解いていて、

1)海難事故で瀕死状態にあったトルコ人和歌山県串本町の日本人が助けた歴史

2)イラン・イラク戦争中に救援機を飛ばして日本人を救出したトルコ人の歴史

この2つの歴史を描いています。

 

www.youtube.com

 

トルコと日本の距離をグッと縮めた2つの歴史について、ちょこっとご紹介します。

(※歴史ファンの方も、歴史より今を生きるんだぜ派の方も、今をときめく21世紀人として読んでいただけたらもれなく感謝の念を自宅からお送りします... ←なんか怪しいですね笑)

 

1)海難事故で瀕死状態にあったトルコ人和歌山県串本町の日本人が助けた歴史

 

(参照:串本の潮岬観光タワーにあった展示パネル)

 

むかーしむかし(19世紀末)、トルコの前身であるオスマン・トルコ帝国の1番お偉いさん(皇帝)であるアブデュルハミト2世(略してハミさん)がいました。

 

周りのヨーロッパ軍団が強すぎて「不平等条約」に苛まれる日々。

 

「もうこんな生活は嫌だ!」

 

そんなとき、ハミさんはある島国のことをふと思い出したのです。

 

「そういえば、日本も今ぼくと同じ立場にあるのでは?」

 

当時の日本は明治維新を経てからトルコと同様の立場にあったのです。

 

「日本とタッグを組めば、ぼくも少しはヨーロッパ軍団に力を見せつけられるかも。そういえばこの前日本のお偉いさん(小松宮彰仁親王殿下)がトルコに遊びにきてくれたし、お礼として日本に訪問がてら平等条約でも結んでおこうかな。よっしゃ、ちょっくら日本へ船を派遣しよう。船の名はそうだな、名付けてエルトゥールル号だ!」

 

こんな感じでハミさんは約650名をかき集め、1889714日にエルトゥールル号を日本へ送り出したのでした。

 

そして189067日ー

 

船長であるオスマン・パシャの指揮の下、エルトゥールル号は横浜港に到着。

 

日本からは大歓迎され、ウキウキモードで早くも3ヶ月が過ぎ

 

ついに同年915日、トルコへ帰る日がやってきました。

 

日本の9月といえば台風の季節。そしてエルトゥールル号26歳の木造船でちょいとオンボロに見えたことから、日本側はこう言ったのです。

 

オスマンさん(船長)、もうちょっと出発日を遅らせてもいいのではないですか。日本近辺の海ではいつ台風が来るかわからないし、船をちょっと補修してから旅だった方が安全ですよ。」

 

しかしオスマンはその日に出発することを既に決めていました(日本食にうんざりしていたのでしょうか)。

 

「いや、いいっすよ。今日帰ります、ありがとうね!」

 

そんなこんなで、エルトゥールル号は横浜港を出発。

 

そして1890年9月16日ー

 

エルトゥールル号は突然の台風に遭遇。

 

船員の必死の努力も虚しく、エルトゥールル号和歌山県串本町紀伊大島沖で岩礁にぶつかり、沈没。

 

串本町の海岸に流されてきたエルトゥールル号トルコ人船員たちを発見した串本町の人々は、不眠不休で一晩中の救助にあたった結果、

 

生き残った船員は69人。残りの587人は殉職。

 

串本町の人々は、生活が困窮していた中でも自分たちの食糧をトルコ人船員に譲り、必死に介抱。

 

トルコ人船員が回復した後は、日本の海軍がトルコ・イスタンブールまでトルコ人船員を送り届けたとのこと。

 

もし串本町の人々が海岸で海難事故に遭ったトルコ人船員を発見していなかったら、

 

どこの誰かなんて気にせず懸命に救助していなかったら、

 

たったの1人も助からなかったかもしれない。 

 

エルトゥールル号の一件を知っている日本人はごくわずか(多分)ですが、トルコでは大勢の人が知っているそうで、「クシモト」という地名を聞けば大体の人がピンとくるそうです(以前TVの特集で取り上げられていました)。

 

連日の芸能スキャンダルだけでなく、和歌山県の小さな町(串本のみなさんごめんなさい... 町は小さくても心は特大デラックスサイズです!)でトルコと日本が互いへの特別な感情を育んでいたことなんかも、たまにはメディアで取り上げられるといいですよね...!

 

2)イラン・イラク戦争中に救援機を飛ばして日本人を救出したトルコ人の歴史

 

エルトゥールル号の海難事件から約100年後ー

 

1985年3月17日。

 

イランが最大の危機に陥りました。

 

イラン・イラク戦争は激化し、イラクテヘラン(=イランの首都)の市民に対して空爆を繰り返す日々。

 

そんな空爆の渦中に、イラクサダム・フセイン大統領がある声明を発表。

 

「48時間後にイラン空域を飛ぶすべての航空機(民間機も含む)を無差別攻撃する。」

 

イランはパニックに陥り、各国の政府がイランにいる自国民を救おうと救援機を急ピッチで飛ばす中...

 

イランにいる日本人には救援機の代わりにこんな言葉が届きました。

 

「救援機は飛ばせない。」

 

イランには当時200名を越える日本人が残されていたものの、

 

イランへ救援機を飛ばすことは危険だと判断した日本政府。

 

途方にくれる中...

 

行動を起こしたのは、政府ではなく民間企業のある1人の男性でした。

 

伊藤忠商事で勤めていた森永堯(もりながたかし)さんは、親しくしていたトルコのオザル首相に電話。

 

トルコ人を優先して救出するのは当然ですが、どうか日本人をトルコ人と同じように扱っていただけませんか。日本が今頼れる国は、トルコだけなんです。」

 

オザル首相はイランにトルコ航空の救援機を2機飛ばし、日本人215名が無事に救出されました。

 

オザル首相の決断はもちろん、救援機の操縦を担ってくれた有志のパイロット、そして日本人に救援機の席を譲って陸路でイランからトルコへ脱出したトルコ人の方々。

 

トルコ政府、トルコ航空、そしてトルコ国民が一丸となって日本人を救助してくれたこの一大事は、普段は物事をキレイゴトだとあざ笑う人々も息を呑んでしまうような、現実世界で起こったとは信じられないような...

 

人は現実では起こり得ないようなキレイゴトを嫌うけれど、

この世界では時にキレイゴトが本当に起きるんだ。

 

人間力の底力を見せつけられた気がしました。

 

ありがとうトルコ、ありがとう森永さん...!

 

III. トルコと日本の感動秘話が別の意味で切ない理由

 

さてさて...

 

「なんかめっちゃ長文かまされたけど、結局はトルコと日本は固い友情で結ばれてるぜって話でしょ?さ、アイスでも食べよっと...」

 

と考えているそこのあなた!(え、アイスじゃなくて焼き芋派?)

 

それだけじゃないんです。

 

伝えたいのは、それだけじゃないんです。

 

むしろここからなんです。

 

「え〜、じゃあもういいよ」

 

と冷蔵庫に走ろうとしているそこのあなた!

 

もちろん冷蔵庫に走って戻ってきていただいても全然構わないのですが、

 

映画「海難1890」でトルコと日本の感動秘話を観た後には、切なさがありました。

 

トルコと日本の感動秘話は、思いがけない人々にも関係していて。

 

そうです、先ほどお話ししたクルド人の方々です(さすが勘が鋭いみなさま!)

 

日本はもともと難民認定に対して消極的とはいえ、トルコから日本へ来たクルド人には難民認定を下したことがありません。0です。

 

理由はさまざま、ただ、日本がトルコとの関係を守りたいからトルコ出身のクルド人には難民認定を与えていないなんてこともあるようです。トルコから来た人々を日本で難民認定するということは、トルコを責めることになるから。

 

先ほども言いましたが、在日クルド人難民認定を与えるべき/べきじゃないを議論していても、ただただ終地点が見えないまま時が過ぎるだけなんじゃないかなって。

 

トルコと日本が仲良しだからって、クルド人を仲間外れにするのはなんか違う気がして。むしろ違う気しかしなくて。

 

「難民」

トルコとの仲を壊したくないから、この言葉をクルド人と結びつけられない。

もし日本にそんなジレンマがあるのであれば、いっそのこと「難民」という言葉の枠を取り払って考えたらいいのになってウブなことを考えてしまうんです。

 

「人」

トルコ人が人であるように、日本人が人であるように、クルド人も人。

「難民であるクルド人にどう接するか」ではなく「人であるクルド人にどう接するか」を基準に考えたとき...

 

小さい子どもが風邪を引いても医療費を100%自己負担しなくちゃいけない、

 

大学に行きたくても学費がなく政府からの奨学金ももらえない、

 

働きたくても合法では働けない。

 

日本に住むクルド人の毎日を法律レベルで変えられるのが政府だとしたら、

 

トルコから日本に逃れてきた難民としてではなく、

 

同じ人間としてクルド人に何ができるのかを考えてもらえたらかっこいいなあなんて(ここで言ったところでどうするんや感は満載ですが、いつか誰かのもとに夢の中でもいいから届くと願って...)。

 

あ、ちなみにわたしは政府を敵視しているわけでないですよ!笑

 

政府なりの事情云々はあるだろうし、自分が政治家になったらいろんな方面からの要求に応えきれなくてジレンマを抱えて寝込むと思います(民間企業で働いていても今回のようにストレスで急性胃腸炎になるのに、政界で働くだなんて...)。

 

敵視をしても何も生まれないというのが最近の流行りフレーズなので!

 

ただ急性胃腸炎になって寝込んで映画を観て考えたことは、

 

トルコ人と日本人とクルド人

 

三角関係じゃなくて、円満な丸関係に変わったらいいですよね!(賛成してくれた方、アツい感謝をお送りします。不賛成の方、それでもここまで読んでくださって感謝感激雨あられです!)

 

...以上、みなさまも急性胃腸炎にはお気をつけて!おやすみなさい!