三線の音色の面白さ、わかってないと思うんですよ。
三線奏者の冝保和也さんが、26歳のときに熱を込めて放ったひとこと。
同世代の若い人たちは、POPとかを聞いてる人が多い、と。
本当の三線の音色のよさをわかっていない、と。
この言葉で、ハッと気づかされました。
大きな夢を堂々と語れるからこそ、若者は輝くんだなあ...
「アイツまた地に足浮いたようなこと言ってる」
「いい加減そろそろ落ち着けよ」
大人になっても夢を語っているような人に対して、やる気を削ぐような言葉を言う人がいます。確かに大人になったら自分で生計を立てていかなきゃいけないから、いつまでも夢ばっかり語っていられないかもしれない。
でも、かっこよく生きようとしちゃダメなんだな。
かっこよく生きようとするから、「デカい夢語って叶わなかったら恥ずかしい」とか、「口だけ野郎って思われたくない」とか、心にブレーキがかかってしまう。
かっこよく生きようとするから、「いい歳になっても夢ばっか語ってるくせに、大した実績残せてないじゃん」とか、ダサい奴認定されることを怖がってしまう。
この歳になると、周りで熱く夢を語る人もだんだん少なくなってきた...
そんな中で内なる熱い想いみたいなことを久しぶりに再会した友人に告げても、「胡散臭い奴」に思われそうで。
「意識高いだけで大したことない奴。そのくせ周りにも意識高いことを求めてくる奴」みたいに思われそうで。
※こうして書いてみると、なんだか人間不信に陥っている人みたいですね...笑
でも、周りでも夢なりパッションなりを追いかけている人はたくさんいて。
というか、そういう人たちがとても輝いて見えるから、何も成果とか残せてないのに夢だけ語る自分が情けないというか、かっこ悪いって感じてしまうのかもしれません。
自分自身、やりたいことはあるけど、想いだけ先行して行動も成果も伴ってないじゃんってよく思うことがあって。
口だけ野郎みたいでいやだなと思って、最近は想いを綴る系のブログ記事をあまり書いていなかったのですが...
若者の特権っしょ!いいっしょ、別に!
ってなにかが吹っ切れた気がしました。
何者かに化ける前は、「本当に何者かになれるのかな」って不安がつきもの。
蝶になる前のさなぎだって、「今ボクこんな姿だけど、本当に蝶になれるのかな?」「え、てか羽ってどうやって生えてくるの?」「今はなんにも模様がないのに、本当にあんな綺麗な模様になるのかな」みたいなことを考えているはずです(ここツッコミどころ)。
さなぎの状態のときは、別にかっこよくなくていい。
それに、脱皮できなかったさなぎを責める人はいない。
世の中には綺麗な蝶になれた人がたくさんいて、みんなはそんな綺麗な蝶に気を取られているから、さなぎが脱皮できなかったとしても、よくも悪くも気づかれないというか、わざわざダサいって言う人なんていない。
だから、かっこよくなくていい。
かっこ悪いさなぎのままでいい。
かっこいい服を着てかっこいい髪型をしている人は、もちろんかっこよく見えます。
でも、超ダサい服とボンバーアフロな髪型でも自信満々な人も、かっこよく見えます。
何が言いたいかというと、かっこよく見られなくていいと、ダサいと思われてもいいと思っている人は、むしろかっこよく見えてしまうこともあるということ。
かっこよく見られようとして安定の道を選んでも、大してかっこいいと思ってもらえないのに、かっこよく見られなくていいから自分が「これだ(多分)!」と思う道を選んで七転び八起きしている人は、なんだかかっこよく見える。
かっこよくなくていいし、かっこいいと思われなくてもいい。
なのに、むしろそんないさぎよさがかっこいいと思われる。
それなら、かっこよさなんて今すぐポイ捨てした方がよさそうですよね(メモメモ)。
超精神論となりましたが、超精神論的な記事もたまには書いてみたかったので、自己的には満足です。
最後に、記事の冒頭で紹介した冝保和也さんの言葉には、下記のドキュメンタリーで出会いました。胸アツなので、よかったら見てみてください!↓
※ちなみに、この記事のインスピレーションをくれたのは冝保和也さんのひとことでしたが、冝保和也さんは最高にかっこいい人生を歩まれています!
さいごに
「散々語ってるけど、じゃあお前の夢はなんだよっ」って思ったみなさん。
That's a good question!
難民支援とか、紛争解決とか、脚本とか、ブロガーとか、旅人とか。
なんか一貫性のないように見えますが、一旦よしとします。
ではでは、おやすみなさいっ!笑
かっこよくない人生に、乾杯!