Feeling Bothered? Test Your Hypotheses (+Never Be Too Confident with the Result)
I. 心の中のモヤっとボール
「本当にこの仕事でいいのか。本当にこのままでいいのか。」
入社後初のプロジェクトでは、こんな質問を延々と繰り返す毎日で、状況打破のために何か行動を起こす気にもなれませんでした。
しかし、2つ目のプロジェクトとして会社のプロボノ(=本業のスキルを社会貢献活動に活かすこと)を始めてからは、仕事にやりがいを見出せるようになりました。自分の仕事の意義に納得できるし、プライベートの時間を使ってでも自習しようと思える。ただ、プロボノの期間は最大で半年間と決まっていて、既にプロボノ生活3ヶ月が経過しました。
プロボノを始めてからは、定時に帰れるようになり、1歩引いて冷静になった状態で、キャリアにおける自分の現在の立ち位置と今後について考えられるようになりました。そんな中で、前のプロジェクトのときに「辛い。これが自分のやりたかったことじゃない」と嘆いていた自分を思い出すと、プロボノが終わった後にまた当時のような仕事が待っているかもしれないと不安になる一方で、ただ嘆くのではなく、自分が仕事においてやりがいを得られるようにするためにもっと試行錯誤できたらよかったなあと思います。
というのも、プロボノとして与えられた任期はたったの6ヶ月。
自分の任期中に成果を残して、任期が終わった後も次のプロボノメンバに継承できるような何かを残したい。そう思いつつ、長期的かつ壮大な計画を考えていたら、早くも3ヶ月がすぎていました。
II. 小さな仮説検証を繰り返す
そんな中メンター的存在である上司の方から言われたことは、
「小さく始める。トライアンドエラーを繰り返す。そのサイクルを回し続ける。」
闇雲に行動していてもダメだから、しっかりと仮説を立てて、検証し、なぜうまくいったか・いかなかったかを分析し、次の施策につなげていく。
<まだ読み途中ですが、仮説検証のサイクルを回し続ける極意について書かれた本「SPRINT: How to Solve Big Problems and Test New Ideas in Just Five Days」を紹介してもらいました!>
プロボノ任期中に発見したことはたくさんありますが、中でも世紀の大発見は、仮説検証しまくることの大切さ。
そんな中で、以前仕事に対してモヤモヤを抱えていた自分に欠けていたことは、十分な睡眠、栄養、そして仮説検証を行なう姿勢だったことに気がつきました。
まあこれを当時の自分に言ったら「仮説検証する余裕なんてないわよ、バカヤロー!」と言われて終わりな気もしますが…笑
とにもかくにも、仮説検証を繰り返すって大切だなあと思いました。
III. 「ベイズの定理」から学ぶ、検証結果を過信しないことの大切さ
最後に... 自分への忠告として書いておきたいのですが、仮説検証を繰り返すうちに「このやり方はうまくいった」「このやり方はうまくいかなかった」という結果から結論を導き出すことが増えるかと思うのですが、結果から結論を導き出す過程においては、1つの結論を過信しすぎないようにしたいです。
トラウマや偏見(=とある事象をきっかけに、関連するものすべてを恐れたり避けたりすること)とも通ずる部分があると思うのですが、人の考え方や価値観の背景には、それぞれの原体験がありますよね。
たとえば海外旅行中に、ホームレスの方からお金をせがまれたとします。
「子どもがお腹を空かせているからお金が欲しい。」
着ている服は擦り切れていて、見るからにやせ細っている。
あなたは5ドル札をあげたとします。
そして後々になってその方がスーパーからお酒を買って出てくる姿を目撃したとします。
手に持つお酒は、あなたがあげた5ドル札で買ったもの。
こんな経験をしたときどのように思うかは人それぞれですが、「嗜好品に使われるぐらいならあげなきゃよかった。もうこれからは誰かからお金をせがまれても一銭も渡さないぞ」と思うかもしれません。
でも、今後の人生において道端であなたに話しかけてくる人の中で、もし本当に困っている人がいたら?生死を分けるような緊急事態に直面しているとしたら?
困っている人がいたらお金を渡しましょう、と言いたいわけではなく、渡すな、と言いたいわけでもありません。
言いたかったことは、「たった1回の経験で結論を導き出す」ことの怖さ。
そんなとき、大学時代の友人が「ベイズの定理(=Bayes’ Theorem)」たるものを教えてくれました。
数字が苦手なわたしがうまく説明できるはずもないのでネットサーフィンした内容をもとにご説明すると、
「確率とは、人がとある現象に対してどれだけ「きっとこれは起こる / 起こらない」と信じているか」
だそうで、
「真の確率は存在しない」
とのことです。
だからこそ、1回の経験で結論を導き出したとしても、その結論は恐らく妥当ではない。
あまりにも強烈な経験をした場合は、いくら結論が妥当ではないからといっても、特定の人やものに対するトラウマや偏見、固定概念は生まれてしまうものかもしれません。
ただ、「1回の経験によって導き出した答えがすべてではない」ということだけでも意識しておきたいなあと思う今日この頃です。
ということで、これからは思い悩んだら仮説検証を繰り返してみます!
(検証結果を信じて次の行動につなげることはよしとしても、1つの検証結果をすべての状況に当てはまると過信しないように注意しつつ...)
ではでは、最後まで読んでくださったみなさん、ありがとうございました!
わたしのブログが本当に意義があるものか仮説検証中のみなさんは、ぜひ1度「読者になる」ボタンを押してフォローしてみてくださいね!(欲が出てしまった...)