北極星のみつけかた|yuzubaby

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北極星のみつけかた

鬼滅の刃を子どもに見せるべき?我が子に教えたい17のこと

国民的大ヒットを博している鬼滅の刃

感動的なストーリーで話題を呼ぶ一方、グロテスクな描写もあることから、子どもに見せるべきかどうか躊躇されている親御さんもいらっしゃるようです。

 

子どもに何を見せる/見せないべきかは親が決めるなり子どもに判断させるなり、家庭によって異なるとは思いますし、確かにグロテスクな描写はあります。

しかし、ひとことでいうと、鬼滅の刃の根底にあるメッセージは、まさに子どもにこそ知ってほしいものだと感じました。

 

この記事では、実際に鬼滅の刃を読破した著者の観点から、鬼滅の刃に出てくるセリフをもとに、作品を通じて子どもに伝えたいメッセージを17個挙げてみました。

みなさんの参考になれば幸いです!

 

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<※一部ネタバレがあるので、要注意です!※>

登場人物については、マーベルさんのこちらの記事をご覧ください ↓

『鬼滅の刃』登場人物(キャラクター)まとめ | MARVEOL♥️

 

 

1. 悪は裁く。でも、ただ裁くだけじゃない

鬼滅の刃で出てくる鬼は、かつては人間でした。

「鬼=絶対悪」と描写するのではなく、鬼がまだ人間だったときの思い出、そして人間から鬼になるまでの切ない経緯を描くことで、「鬼になること」が決して他人事ではないことを観衆に訴えかけます。

 

炭治郎「神様。どうかこの人が今度生まれてくる時は 鬼になんてなりませんように」

 

現代には鬼こそいないものの、ひょんなことから道を踏み外してしまった人に対して、皆から忌み嫌われるような人に対して、その人なりの事情があったのかもしれないと想像力を働かせること、そしてその人が犯した過ちは決して許せるものではないとしても、現世では無理でも来世ではまともで幸せな人間として生まれてほしいと慈悲の念を抱くことは、いつの世にも通づる大切なメッセージなのではないかと思います。

 

2. 情けは人の為ならず

「情けは人の為ならず」ということわざは、誤った解釈をされがちですが...

鬼滅の刃では、本当のことわざの意味を教えてくれます。

 

時透有一郎「情けは人のためならず。

誰かのために何かしてもろくなことにならない」

 

時透無一郎「違うよ。人のためにすることは巡り巡って自分のためになるって意味だよ。父さんが言ってた」

 

炭治郎「人のためにすることは巡り巡って自分のためになる。そして人は自分ではない誰かのために信じられない力を出せる生き物なんだよ」

 

3. ローマは一日にして成らず。物事に近道はない。

「1日で○○万円稼げる方法!」「3分で○○をマスター!」

そんなフレーズがあちこちに転がる現代ですが、何か物事を極めるには1万時間の鍛錬が必要とも言われるように、たった少しの労力で多くのリターンを見込めるなんて、そうそう上手い話はありません。

 

炭治郎「ずっと考えていました。だけどそんな都合のいい方法はない。

近道なんてなかった。足掻くしかない。

今の自分ができる精一杯で前に進む。

どんなに苦しくても悔しくても」

 

使えるものは使って近道できるなら近道するに越したことはないかもしれませんが、何かを得るためには努力する必要がある。

シンプルだけど大切なことを、鬼滅の刃は教えてくれます。

 

4. 自分の頭で考え、突破口を見出すこと

「俺に聞くな。ググれ」

社会人なら1度は聞いたことがあるフレーズ第1位?

自分で調べたり考えたりする努力もせずに、誰かに答えを求めようとするなって意味なのですが、鬼滅の刃でも、自分の頭で考えることの大切さを説いています。

 

炭治郎「どうしたらとどめを刺せますか?」

鱗滝「人に聞くな。自分の頭で考えられないのか」

 

炭治郎「駄目だ!! 全然状況が変わってない。

気合いだけではどうにもならない。

頭だ!! 気合いと共に頭も使うんだ」

 

炭治郎「落ち着け!! 考えろ。焦るな。絶対に思考を放置するな」

 

※もちろん誰かの話からヒントを得ることもありますよね!

まさに炭治郎も、誰かと過去に交わした会話からヒントを得る場面が多々あります。

自分の頭で考えるということは、必ずしも1人で思い悩めというわけではなく、誰かと話すことで、答えではなくヒントを求め、集めたヒントの中から自分で答えを生み出すみたいなプロセスのことかもしれません。

 

5. 相手に頼る勇気をもつこと

鬼と戦っているとき、妹の禰豆子と人間を守りながら鬼を倒すことは難しいと焦る炭治郎。

そんなとき、鱗滝に言われたことを思い出し、妹の禰豆子を頼ることにする炭治郎。

物語が進むにつれてどんどん強くなる炭治郎ですが、それでも1人でできることなんて限られていると悟った炭治郎は、仲間に頼ることの大切さを教えてくれます。

 

鱗滝「禰豆子は今鬼だ炭治郎 つまり 必ずしもお前が守ってやらねばならぬ程弱いわけではない」

炭治郎「いいのか?任せても 二人を守ってくれれば攻撃に専念できる...」

 

炭治郎「一人でできることなんてほんのこれっぽっちだよ。

だから人は力を合わせて頑張るんだ」

 

6. 決して諦めないこと

どんなに極限まで追い詰められても、決して諦めない炭治郎と仲間たち。

何度も何度も起き上がりこぼしのように立ち上がる鬼殺隊の姿は、子どもの心にも強く深く刻まれるのではないでしょうか。

 

真っ直ぐに前を向け!! 己を鼓舞しろ!! 頑張れ炭治郎 頑張れ!!

俺は今までよくやってきた!! 俺はできる奴だ!!

そして今日も!! これからも!! 折れていても!!

俺が挫けることは絶対に無い!!」 

 

7. たった1つでいいから、自分の強みを極めること

1つでも多くのことができた方がいいと考えがちですが、決してそうではない。

たった1つでいい。たった1つがいい。

そうすれば、自分の強みは、誰よりも鋭く輝くものになるから。

 

善逸のおじいちゃん「いいんだ 善逸。お前はそれでいい。

一つできれば 万々歳だ。

一つのことしかできないならそれを極め抜け。

極限の極限まで磨け」

  

8. 命の恩人への最大の恩返しは、自分の命をまっとうすること

 

自分をかばったせいで誰かが死んでしまった。

そんなシチュエーションはなかなか起こらないかもしれませんが、自分が今生きていることに対して、何かしらの理由で罪悪感を抱いているとしたら...

自分の命をまっとうして生き抜くことが、その人にとっても自分にとっても1番だということ。

 

錆兎「自分が死ねば良かったなんて 二度と言うなよ。

もし言ったらお前とはそれまでだ。

友達をやめる。

お前は絶対死ぬんじゃない。

姉が命を懸けて繋いでくれた命を 託された未来を お前も繋ぐんだ 義勇」

 

炭治郎「義勇さんは錆兔から託されたものを繋いでいかないんですか?」

 

究極的には、子どもを育て上げた親(または親に匹敵する人)は、みんな子どもにとっての命の恩人。

あと、何気なく口にしたお米やお肉、魚だって、自分の命をつないでくれた恩人。

 

「その人たちの想いを背負って生きていけ」なんて堅苦しいことは言いませんが、自分の命はいろんなものの上に成り立っているからこそ、自分の命をまっとうしたいものです!

 

9. 恩送りの精神

恩返しをすることは素晴らしいこと。

でも、それと同じぐらい、もしかしたらそれ以上に、恩送りをすることも大切。

なぜなら、恩送りをすることが、恩をくれた人に対する最大の恩返しとなりうるから。

 

煉獄杏寿郎「俺がここで死ぬことは気にするな。

柱ならば後輩の盾となるのは当然だ。

柱ならば誰であっても同じことをする。

若い芽は摘ませない。

竈門少年 猪頭少年 黄色い少年。

もっともっと成長しろ。

そして今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ。

俺は信じる。君たちを信じる」

 

10. できるかどうかではない。やるかどうかだ

「果たして自分にできるのだろうか...」

こんな風に思うことは誰しもあると思います。

でも、できるかどうかを考えていてもできるようにはならない。

大切なことは、できるかどうかではなく、やるかどうか。

 

炭治郎「悔しいなぁ。

何か一つできるようになっても またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ。

凄い人はもっとずっと先のところで戦っているのに 俺はまだそこに行けない。

こんな所でつまずいてるような俺は... 俺は... 煉獄さんみたいになれるのかなぁ...」

 

伊之助「弱気なこと言ってんじゃねぇ!!

なれるかなれねぇかなんてくだらねぇこと言うんじゃねぇ!!

信じると言われたならそれに応えること以外考えんじゃねぇ!!」

 

炭治郎「俺はやれるはずだ。いや やる!!」

 

11. 欲しがるばかりでなく、与えること

Give & takeという言葉があるように、欲しがるよりも前に与えること。

子どもにこれを言ってもおもちゃを欲しがる姿勢は変わらないとは思いますが...笑

リターンの有無や大きさを考えずに、誰かに何かを与えられる人でありたいです。

 

愈史郎「人に与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる。欲しがるばかりの奴は結局何も持ってないのと同じ。自分では何も生み出せないから」

 

鬼退治に奔走する鬼殺隊ですが、いくら自分が鬼を倒したところで、自分の愛する人、鬼に殺された人は帰ってきません。それでも戦い続けるのは、鬼に対する復讐はもちろんですが、自分と同じように、鬼のせいで愛する人を失う人を増やさないため。

 

「与えることは奪うこと」という言葉もあるようですが、やっぱり、いつの世も、与えられる人は寛大です。

 

12. 自分にできることで十分。誰かの役に立てる方法は必ずある

鬼が横暴していた時代においては、鬼を倒すことそのものが、1番世のため人のためになるかもしれません。

でも、だからといってみんながみんな剣士になるべきかといえば、そうでもない。

鬼を倒すためには、鬼を倒すための刀を作る人が必要だし、剣士をまとめる指揮者も必要。

 

煉獄千寿郎「剣士になるのは諦めます。それ以外の形で人の役に立てることをします」

 

鬼殺隊の柱である不死川が、鬼殺隊の頭(かしら)のくせに刀を振らず涼しい顔してやがると産屋敷耀哉を罵倒したときのこと...

産屋敷耀哉「ごめんね。刀は振ってみたけれど すぐに脈が狂ってしまって十回もできなかった。

叶うことなら私も君たちのように体一つで人の命を守れる強い剣士になりたかった」

 

「適材適所」という言葉があるように、自分にできること、自分だからできることは必ずあります。そして鬼滅の刃は、自分にできることを通じて誰かの役に立とうとするならば、それはもうすでに十分素晴らしいことであって、劣等感を感じることは何1つない、ということを教えてくれます。

 

13. 失うものがあることは脆いことかもしれないが、それ以上に尊いこと

失うものがあることは、裏を返せば、守るものがあるということ。

それは脆いことなんかじゃなく、尊いこと。

仲間を守るため、人間を守るために戦う鬼殺隊の姿は、そんなことを教えてくれます。

 

猗窩座「素晴らしき 才能を持つ者が醜く衰えてゆく。

俺はつらい 耐えられない。

死んでくれ 杏寿郎。

若く強いまま」

 

炎柱・煉獄杏寿郎「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ。

老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなく愛おしく尊いのだ。

強さというものは 肉体に対してのみ使う言葉ではない」

 

14. 次の世代にバトンを渡すこと

人生100年時代。

しかし依然として人の命は儚いもので、いつ死ぬかわからない。

 

「どうせ死ぬのになんで頑張るんだろう」

初めて「死」という概念を知った子どもは、恐怖と同時にそんな疑問を抱くのではないでしょうか。

 

死んでも土に返ってまた何かしらの生き物に生まれ変われるかもしれないし、何よりも、死んでも想いはつなぐことができる。

鬼滅の刃は、自分の人生を点として捉えるのではなく、線として捉え、先祖からつないでもらったものを自分も後世につないでいこうと思わせてくれる作品です。

 

「自分にできなくても必ず他の誰かが引き継いでくれる。

次に繋ぐための努力をしなきゃならない。

君にできなくても君の子供や孫ならできるかもしれないだろう?

俺は鬼舞辻無惨を倒したいと思っているけれど 志半ばで死ぬかもしれない。でも必ず誰かがやり遂げてくれると信じてる。

俺たちが... 繋いでもらった命で上限の鬼を倒したように

俺たちが繋いだ命がいつか必ず鬼舞辻を倒してくれるはずだから」

 

炭治郎「みんなに繋いでもらった命で俺たちは一生懸命生きていきます」

 

15. 命を、愛する人を、大切にすること

鬼滅の刃の世界観では、死と常に隣り合わせ。

ただ、わたしたちの世界においても、きっとそれは同じ。

病気になったり身近な人に何かが起きたりして初めて命の尊さを思い知ったという話はよく聞きますが、何か起きたとしても起きなかったとしても、「いつどうなるかわからない。だからこそ...」という感覚で、命も愛する人も大切にしていきたいです。

 

好きな人や大切な人は漠然と明日も明後日も生きてる気がする。

それはただの願望でしかなくて 絶対だよと約束されたものではないのに 人はどうしてか そう思い込んでしまうんだ。

 

こんなシリアスなことは、普段子どもはあまり考えないかもしれません。

でも、鬼滅の刃を通じて、親が教えなくても子どもが勝手に感じ取ることができる。

エンターテインメントのすごいところは、意識していなかったことを無意識のうちに意識させられるように仕向けられることじゃないかと改めて思います。

 

16. 強い者の役目は、弱い者を支配することではない。弱い者を守ることだ

鬼滅の刃で繰り広げられるのは、弱肉強食の世界ではなく、むしろその逆の世界観。

強い者が弱い者を支配してもいい、支配されるのは弱いせいだ。

鬼滅の刃は、そんな捻じ曲がった考えを真っ向から否定してくれる作品です。

 

猗窩座「弱者には虫唾が走る。反吐が出る。

淘汰されるのは自然の摂理に他ならない」

 

炭治郎「お前の言ってることは全部間違ってる。

お前が今そこに居ることががその証明だよ。

生まれた時は誰もが弱い赤子だ。

誰かに助けてもらわなきゃ生きられない。

お前もそうだよ猗窩座。

記憶にはないのかもしれないけど 赤ん坊の時お前は誰かに守られ助けられ今生きているんだ。

強い者は弱い者を助け守る。

そして弱い者は強くなり また自分より弱い者を助け守る。

これが自然の摂理だ」

 

煉獄杏寿郎の母「なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか。

弱き人を助けるためです。

生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は その力を世のため人のために使わねばなりません。

天から賜りし力で人を傷つけること 私腹を肥やすことは許されません。

弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。

責任を持って果たさなければならない使命なのです。

決して忘れることなきように」 

 

17. 愛する人は、あなたに仇を取ってもらうことを望んでいない。幸せになってほしいだけ

鬼滅の刃に出てくる鬼の中には、愛する人を殺された絶望と憎しみから鬼になった者がいます。中でも印象的なのは、猗窩座。

 

「自分が弱いせいで愛する人を守れなかった。だから強くなる」

自暴自棄になったことに加え、そんな想いから鬼になった猗窩座でしたが、鬼になってしばらくすると、人間だったときの記憶も忘れ、ただただ私利私欲のままに人を喰っていました。

 

ただ、自分の死に際に、猗窩座はなぜ自分が鬼になったのかを思い出すのです。

そして後悔します。

 

猗窩座「ごめん親父 ごめん。俺やり直せなかった。駄目だった...」

猗窩座の父「関係ねぇよ。お前がどんなふうになろうが息子は息子 弟子は弟子 死んでも見捨てない。...天国には連れて行ってやれねぇが」

 

恋雪「狛治さんありがとう もう充分です。もういいの もういいのよ」

猗窩座「ごめん ごめん 守れなくてごめん。

大事な時傍にいなくてごめん。

約束を何ひとつ守れなかった...!!

許してくれ 俺を許してくれ 頼む 許してくれ...!!」

恋雪「私たちのことを思い出してくれて良かった。

元の狛治さんに戻ってくれて良かった... おかえりなさい あなた...」

 

もちろん、愛する人を失うのは苦しいし辛い。

でも、今は亡き愛する人がわたしたちに望むことは、

「幸せでいてほしい」

たったそれだけ。

 

第23巻の物語最後のナレーションでは、自分が愛する人に望むこと、そして愛する人が自分に望むことが、こんな風に綴られています。

 

光り輝く未来の夢を見る。

大切な人が笑顔で天寿を全うするその日まで幸せに暮らせるよう

決してその命が理不尽に脅かされることがないよう願う。

たとえその時自分が傍らにいられなくても生きていて欲しい。

生き抜いて欲しい。

あなたが私だったらきっと 同じことを言うはず。

ただひたすら平和な何の変哲もない日々が

いつまでもいつまでも続きますように

 

最後に

さてさて、いかがだったでしょうか。

 

幼少期に見せるエンターテインメント作品は、子どもの感受性を揺さぶるものなので、一概に部外者であるわたしが「見せた方がいい/見せない方がいい」と言えたものではありません。

怖いものが大の苦手で、怖いものを観たらトラウマになってしまうようなら、見せない方がいいかもしれません。

 

ただ、大事なのは、作品を見せるべきか否かではなくて、作品をどう解釈したかどうかを子どもと話し合うことなんじゃないかな、と思います。

多分、大人までもが深く考えさせられるような作品を子どもに触れさせることで、子どもの咀嚼する力も身に着けられるはずだから。

 

鬼滅の刃を観た小中学生世代がどんな風に物語のメッセージ性を受け取るのかはわかりませんが、鬼滅の刃を見た子どもたちは、命を大切にする優しい子に育つのではないかと思います。 

 

そしてちょっと思ったのですが...

鬼滅の刃のおかげで、いじめが減ったらいいなって。

弱い者いじめがなくなる世界が来たらいいなって。

 

この作品をきっかけに、強さの意味をはき違えることのない、やさしい子どもたちが育ってくれることを信じています!

(親でもない若造が偉そうなこと言ってすみませぬでした...)

 

ではでは、よい3連休を!