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新海誠監督の原点は?少年時代~ヒット作を生み出すまでの半生

前回の記事に引き続き、新海誠監督のインタビューを文字に起こしてみました!

新海誠監督の少年時代~サラリーマン時代~ヒット作を生み出すまでの半生について、出身地である小海町で語っていますっ!

 

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新海誠監督インタビュー@小海町

NHKのインタビューここからで放映した新海誠監督のインタビューです。

YouTubeでアップしてくださった方に感謝っ! 

 

▽こちら、インタビュー動画です。


インタビュー 「新海誠」(天気の子制作)

 

▽下記、原文です。(読みやすいよう、語尾など一部省略しています)

 

A(アナウンサー):少年時代はどのように過ごされてきたんですか?

 

新(新海誠監督):地面を見ているか空を見ているか(笑)。水の中や地面の中を見て、いろんな生き物がいるんだなあと。飽きると空を見て。刻々とカタチを変える空ぐらいしかなかった気がするんですね。

 

A:特に印象に残っている風景はありますか?

 

新:スケートは寒い時間帯からやるので、日が昇る前から、とにかく凍えるような-20℃ぐらいの中でタイツの格好でひたすらぐるぐる滑っているんですけど、朝の7時すぎくらいになると、東の山の端から太陽が登ってくるんです。太陽が登ってくると、凍ったスケートリンクの西の端が金色に光るわけです。リンクが金色に光ったものが、太陽が刻々と登っていくので、リンク全体にじわーっと時間をかけて広がっていくんです。黒く青く冷たかったリンクが、金色の壁のようになっていくんです。そんな風に世界の色が塗り替えられる体験は、今思えば原体験かもしれないです。

 

N(ナレーション):特に目立つような存在ではなく、アニメーション映画をつくるような人生は想像していなかったという新海さん。10代の頃、こんな感情を抱いていました。

 

新:自分に何ができるのか、何をやりたいのか、まったくわからない10代でした。さほど勉強ができる子供でもなかったですし、かといって絵がすごく上手かというと、まったく僕より上手な人はたくさんいましたし、スポーツも平凡でしたし。特に僕の世代は団塊ジュニア世代といって、受験戦争であったり就職氷河期であったり、とにかく人口が多いことで競争が過酷な時代だったんですよね。期待されている社会のレールに乗れるかどうか?その時点で、色々な不安はありました。きちんと乗るべきルート、乗るべきレール、乗るべき電車に乗れるかどうかという根本的な不安はありました。いざ東京に行くことが決まってふるさとを出なければいけなくなったときに(高校3年の春休み)、すごく不安になってしまって。この風景とは違う場所に行って自分がやっていけるのかと。とはいえ外には出たい。なので高校時代の最後の春休み何週間かは、全部色と匂いと音と、自分の身の回りにある故郷の風景を全部記憶していこうと思ったんです。全部記憶して頭の中に入れて行けばなんとかやっていけるかな、と必死に記憶しようとしていたのは覚えている。

 

A:記憶することによって自分を奮い立たせようとしていたんですね。

 

新:「ライナスの毛布」という言葉がありますよね。スヌーピーに出てくるライナスという男の子がずっと毛布を引きずっているじゃないですか。あれは心理学の用語で、持っていると安心するらしいんですよね。母親から離れるための移行期間の対象。子供のころの毛布をまだ引きずっているようなそんな気分だったんだと思います。

 

N:状況した新海さんは、東京の大学に進学。卒業後は、ゲーム会社に就職します。ゲームのオープニング映像などをつくるうちに、いつしか自分の物語を語ってみたいと思うようになっていました。新海さんは仕事の傍ら、1人きりでアニメを作り始めます。そこで描かれたのは、ゲームのようなファンタジーの世界でも、ふるさとの自然でもない、都会の何気ない光景でした。

 

新:夢中になって働いていたんですけれども、現実の自分は、朝スーツを来て、満員電車に乗って会社に行って、上司や部下とコミュニケーションをしたりぶつかったりしながら仕事をして、終電で帰ってきて、終電の中は僕を含めてみんなくたびれた姿で・・・。僕の生活は満員電車であり、自動販売機であり、コンビニであり、自転車。こっちの世界を肯定しないとどうも生きるのがキツくなってきたなという気持ちがあって。なので、自主制作をするときは、そちらの世界の映像にしていったんです。何気ない普段の日常生活を舞台にして、コンビニとか自転車とかアスファルトとか夜の街灯を美しく描こうと。そうすると、自分が普段やっているくたびれたサラリーマン生活も、美しいものに思えてきた。こんな美しい場所にいるんだからあなたの人生は悪くないよ、と自分に言っていたのかもしれないです。

 

N:その後、ゲーム会社を退職し、アニメーション作品を発表していきます。その作品の多くで新海さんが描いてきたのが、10代の若者たちの姿です。細密な風景の描写の中に、繊細な心情を浮かび上がらせています。そして2016年、ついに「君の名は」が世界的なヒット。高校生の男女が入れ替わりすれ違うそのストーリーに、若者達は魅了されました。

 

A:新海さんの作品は10代が主人公の場合が多いと思うんですが、理由はありますか?

 

新:必要としてくれている人たちにまず彼らが面白いと思っているアニメーションを届けたいなというのが10代を主役に据えている1版の大きな理由だと思います。僕自身の記憶でもあるのですが、10代の頃って大人に比べて1つ1つの感情がすごく激しくて鮮やかだと思うんです。たとえば、はじめて高校の初日に登校した日のことってなんとなく記憶にありますよね?でもそれは大人から見たら取るに足らないたった1日のできごとだから、「緊張なんかすることないよ、気楽に行けばいいよ」って僕たちはきっとアドバイスしますよね。でもそれを言われた子供にはまったく響かないと思うんです。「何言ってんのオッサン」って、それで終わりだと思うんです。「俺が今緊張してるんだよ」と。

相対化された大人の視点でアドバイスしたとしても、やっぱり10代には響かないと思うんです。そんな風に、あれほど1つ1つの緊張とか喜びとか哀しみとか憧れが10代の頃は激しいのだから、アニメーション1本が10代の人の生活を救うこともあるだろうし、大人とは比べ物にならないぐらい感動させることもできると思うんです。

 

N:最新作「天気の子」でも、主人公は10代の少年少女です。異常気象が続く東京で、社会のルールからはみ出しながらも生き抜こうとする姿が描かれています。

 

A:「君の名は」から3年が経ち、「天気の子」の中の雰囲気(作風)がだいぶ変わったように感じたんですけれども、監督は日本の社会の変化をどのように感じたのか?

 

新:みなさんと同じ生活者なので、経済がちょっと変わってきた、とみなさんが感じることと同じことを感じます。「天気の子」を作り始めたのは2017年ぐらいからなのですが、陽菜ちゃんはどちらかといえばあんまりお金がない雰囲気で、アルバイトも一生懸命やっていて、おうちでねぎを育てて節約クッキングをやっている女の子にしました。穂高も現金を数えながら生活しているような雰囲気にしました。それは結果的にはこの3年間で社会全体で起きた変化なのかもしれないなと思います。

天気の描写もそうかもしれないですよね。天気が変わっているという実感や、数値で出ている数値があると思うんです。たとえば夏が訪れるたびに、「命にかかわる危険な暑さになります」という表現は、5~6年前までは聞こえてこなかった気がするんです。「経験したことのないような激しい雨が降ります」というような言葉も。今までは情緒的で穏やかで美しかった日本の四季、次の季節が楽しみだねと思っていたような美しくて穏やかな季節の移り変わりが、今はなんとなく備えなければならない、見方によっては人間と敵対するようなものになってきてしまった、そんな実感があります。ですので、「天気の子」の中で描かれる天気は、僕の過去作品とはずいぶん違うトーンで描かれている。少し激しくて攻撃的な天気になっています。

 

A:異常な状態なんですよね・・・

 

新:異常な状態になってしまったというのはあると思います。そんな気分は少なくない人が共有しているような気がします。大人としくの僕にはそういう気持ちがあります。ただ、子供たちにとっては、「世界狂ってきたんだよ」とか「天気がおかしくなってきたんだよ」と言ったとしても、「え、そうかな?」と思う訳です。今が彼らにとってはすべてですから。その中で彼らはいかに人生を充実させるかを彼らなりに考えているわけで。どうしても大人の憂鬱、心配事、絶望事というのは、子供と共有できないし、共有すべきでないと僕は思うんです。正しく考えるのであれば世代は受け継がれていくから、大人が作ってしまった負債はしょうがないから子供が負債を負ってクリアしていかなければいけないーそれが社会の姿だと思うんですけれども、そんなの知ったこっちゃないよって気持ちも同時にあるわけじゃないですか。なかなか教師としては、報道としては、政治としては言えない言葉だとは思いますが、あなたたちがやってきた負債をなんで自分たちが返さなきゃいけないんだ、という気持ちには誰だってなると思う。「天気の子」では、狂ってきてしまった世界がある一方で、子供たちは、大人の心配事、憂鬱を一切気にしない子供たちとして描いているんです。僕たちの心配事を軽々と飛び越えて、言ってしまえば別の世界に行ってしまう子供たち。そういう少年少女を目撃してみたいと僕自身が思いましたし、こっちが心配しなくても勝手にこっちの心配事を子供は乗り越えていくものなんじゃないかな、という気持ちもあります。

 

A:若者達の間でよく語られる「生きづらさ」についてはどう思いますか?

 

新:SNSを眺めていて、なんて生きづらい世界になってきたんだろう、と感じます。誰かが何か間違えた言葉を口にしてしまうと、その人のことを知らない人が一斉にその人のことを攻撃するわけです。叩いていい人がここにいるよ、という空気になって、無料の娯楽として消費するわけです。燃やし尽くして、次の対象に行って・・・そんな風に、毎日誰かがどこかで炎上している。極めて感情透明度の高い社会、それゆえの息苦しさをオッサンである僕が感じているのであれば、10代はもう少し致命的なものとして感じているのかもしれない。そうだとすれば、それを振り払って吹き飛ばしてしまうような強い言葉を叫ぶ主人公を描きたいという気持ちになりました。エンターテインメントの中では叫ばせることで、自分自身が息苦しさを振り払ってみたかったし、穂高の行動を観た方々がそれを見てどういう風に感じるのか知りたいな、とすごく思いました。

 

A:アニメの力を通じてどういうことができると思いますか?

 

新:誰も観たことがない新しい映像を作りだせるとは思えない。いいアニメーションはたくさんあって、それでも何か新しい価値あるものをつくれるかどうかは、あまり自信がないです。とはいえ、やりたいという気持ちはあるし、作りたいという気持ちはあるし、それを生業にしているわけだから、何かを見つけなければいけないという気持ちも同時にあります。アニメーション映画に何ができるかなと思ったときに、RADWIMPS野田洋次郎さんからもらった「愛にできることはまだあるかい」という曲の歌詞を思い出すんです。「愛の歌も歌われ尽くした 数多の映画で語られ尽くした そんな荒野に生まれ落ちた僕、君 それでも」という歌詞があるんです。全部が語られ尽くしてしまった後に僕たちは生まれてきて、それでもと彼は言葉を紡ぐんです。その言葉にすごく励まされながら、この映画を作りました。さまざまに優れた作品はあるけれども、それでも自分たちにしかできないことはまだあると思いたいし、出すことによって少しだけ息苦しさが薄まるかもしれないという期待もある。そういうことができれば幸せだなあと、そんな気分で作った映画です。

 

 

---おわり-----------------------------------

 

映画「天気の子」のDVD/Blu-rayが、いよいよ2020年5月に販売開始します。

ファンとしては楽しみでたまりません...気になる方はぜひっ!

 

            

△ 左(Blu-ray)、中央(DVD)、右(初回限定・Blu-ray

※この他にも、スペシャル・エディションなど、色々なバージョンがあります。

 

ではではっアディオス!

 

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