「人生に疲れた」
そう思うことは誰にでもあると思います。
映画『ちょっと今から仕事やめてくる』を2年ぶりに観て、また心を動かされました(転職してよかった...)。ということで、今日は「人生に疲れたとき」について綴りたいと思います。
I. 人生に疲れたっていいじゃない
もし人生で何か理不尽なことが起きて、やるせない気持ちになって、何もかもすべて放り出して逃げ出したくなったとき...
居酒屋で友達に「人生に疲れた」って言ったら、友達はなんて返すと思いますか?
「人生に疲れたなんて甘ったれてる。中には生きたくても生きられない人がいるのに」
「○○君/ちゃんの周りの人がどれだけ悲しむか考えたことある?」
「生きているだけでもありがたいと思わなきゃ」
「ここで辛抱すれば絶対いいことが起こるよ」
「ちょっと休みなよ」
お説教がましい友達もいれば、明るくフォローしてくれようとする友達もいる。
そんな中で、「人生に疲れた」と言った本人としては、こんなことを思うんじゃないでしょうか。
「健康ならその他の苦悩は大したことないなんていうけれど、必ずしもそうではない」
「自分の周りの人が悲しむかもしれないけれど、周りに気遣えるような状態ではない」
「そもそも周りに自分がいなくなって悲しんでくれる人なんていない」
「生きていること自体が苦しいのだから生きていることに感謝なんてできそうにない」
「どんなに頑張ってもどうせ死ぬなら、もういっそどうとでもなればいい」
本人だって、本当はきっとわかってるはずなんです。
自分が死ぬことで、もしかしたら誰かが悲しむかもしれないし、もし誰も悲しんでくれそうな人が思い浮かばなかったって、今こうして息して生きていることだけでもきっとありがたいことなんだってこと。
でも、どんなに頭でわかっていても、心がついていかないことがある。
だから、「人生に疲れた」と言っている人に対して、根性がないだの甘ったれだのお説教はしない方がいいと思うんです。
だって、本人が1番わかってるはずだから。
本人だって、「人生に疲れた」って思ってる自分を決してカッコいいとは思ってないだろうし、だからといって気丈に振る舞う気力もない。
つい漏れてしまった「人生に疲れた」という心の底からのSOSに対して、周りの人ができることは、まずはやっぱりひたすらその人に寄り添うこと。第3者として客観的にその人の状況やその人自身を判断しようとするのではなく、まずは第一人者としてその人の立場になりきって、その人になったつもりで考えてみる。そうすると、多分おのずと出てくる言葉も変わってくる。
映画『図書館戦争』に出てくるセリフで、心にガツンと響いたセリフがあります。
それは...
正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない
「人生に疲れた」に対して正論を持ち出すことは一旦やめて、まずは感情論で向き合う。相手の感情を想像しまくって、相手の痛みを一緒に感じてみる。
「人生に疲れた」と言われたとき... 言われた相手としては、相手のことをなんとかしてあげたいと思うはず。もし相手が自分にとって大切な人ならば。大切であればあるほど、なんとかしてあげたいという想いが強くなる。想いが強まるほど、お説教がましいことを言うようになってしまうのかもしれない。
「人生に疲れた」に対する模範解答なんてないけれど、1つ言えることは、
気の利いた言葉じゃなくて、気の休まる言葉を贈ってあげることだと思います。
自分がお説教なんてしなくても、すでに相手は十分傷ついているのだから。
II. わたし/僕の人生は、誰のため?
「人生に疲れた」が極限に達したとき、自殺という文字が頭をよぎる。
一定数の人は、もしくは多くの人は、こんな経験があるのではないでしょうか?
「この場から逃げ出したい」と「死にたい」をイコールで考えてしまったときにこの現象が起こるんだと思います。
中には本当に「死にたい」と思っている人もいるかもしれません。
でも、もしかしたら本当は「死にたい」のではなく、「とにかくこの場から逃げ出したい、ゆっくり休みたい」っていうだけのときもある気がします。
個人的には自殺という選択をする人が減ってほしいと思いますが、「人生に疲れた」とか「死にたい」という感情を抱いた人を肯定する気も否定する気もありません。
「生きてれば人生いいことあるよ」って言葉を信じられないときもあると思います。
だから、「生きてれば人生いいことあるよ」ってことを長々と述べる気もありません。
ただ1つ伝えたいことがあって、この記事を書きました。
それは...
(あ、ちなみにこれから言うことはだいぶぶっ飛んでいます...)
自分の命は自分だけのものじゃない。
「はいはい、聞き慣れましたよその言葉!
どうせ自分の命は家族のためとかなんとか言うんでしょ...」
って思った方も思わなかった方も...
この言葉には続きがあるんです!!!
自分が死んだら周りの人が悲しむとか、自分が死んだら家族が困るとか、そういう次元のことを言おうとしているわけではなく...
自分の命は、今まで自分が食べてきた命のかたまり
ってこと!
鶏として生まれてくるはずだった卵とか、日差しを浴びて伸び伸び育っていた野菜とか、海を自由に泳ぎ回っていた魚とか...
生々しい話ですが、食べ物を「狩る」のではなく「買う」ようになった今、自ら生き物を殺めて加工することはほとんどなくなりました(もちろんそれをなりわいとしている方もいますが)。
だから、お腹が空いたら、コンビニやスーパー、レストランで気軽に食べ物を調達できる。日本には食事前に「(命を)いただきます」と言う習慣があって、それはすごく尊い響きだと思う。ただ、「いただきます」と言うことが挨拶化した今、いただきますという瞬間に「生き物を殺めた」という感覚はあまりないのではないでしょうか。
だから、「自分の人生は誰のためのものだろう?」って考えるとき、「今まで食してきた命たちのために生きなきゃ!」みたいな考えに至ることって、なかなかない気がします。
ちょっとへそ曲がりな人は、「でもさ、俺がいなくなれば、俺がこれから生きる上で食べるであろう肉とか魚が生きられるってことじゃん」みたいに思うのかもしれませんが...
ただ、今まで食べてきたお肉とかお魚はもう戻ってこない。
そのお肉とかお魚のためにも生きろ!
っていうスパルタなことを言いたいわけではありませんが(いや、言いたいのかしら)...
少なくとも自分にとって、自分の命が今まで食べてきた命のかたまりだって気づいたときは、結構な衝撃でした。
自分の命は自分のものだと思ってた。もちろん、家族や友人のために生きたいとは思う。ただ、自分の命の所有権は自分にある。だから、生きるか死ぬかを選ぶのは、他の誰でもない自分だって。でも... 考えてみれば、自分が今生きてるのって、今まで食べてきたお肉とかお魚とか野菜のおかげ。それを考えたら、自分の命って、自分のものに変わりはないけど、自分だけのものじゃないんだなあ。
みたいな...
少なくとも、私はみなさんに生きてほしいです!
(お前誰だいって感じですね、かたじけない... このブログにお問合せの欄を設けてるので、何かあればメールしてください)
III. 携帯の電源を消して、とりあえず遠い国へ行ってみる?
「人はどうせ死ぬのに、なんで頑張るの?」
こう思っている人も中にはいるかもしれません。
映画ゲド戦記でも、主人公の少年がこのようなセリフをぼやいてた記憶があります。
確かになんで頑張るんでしょうね。
すごいですよね。
そしてどうせ死ぬとわかっていながらも頑張る人間(もちろん人間以外の生き物も)って、すごいなあって純粋に思います。
RADWIMPSの「愛にできることはまだあるかい」という歌詞の中で、
こんな一節があります。
何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか
なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それともきれいかい 答えてよ
わたしは...
きれいだなって思います。
それに、もしかしたら生まれ変わりはあるのかもしれないし、生まれ変わりがあるないに限らず、死んでも灰となって分子レベルで土や大気に残り続けるわけだし、それに自分が遺した何か(言葉でも発明でも生き様でも)が後世に刺激を与えて後世の心の中で生き続けるのかもしれないし、いつか太陽が燃え尽きて地球がなくなろうとも、もしかしたらその頃までには人類は火星に行くということを果たして別の星で生き続けるのかもしれない。
自分はいわゆる無宗教ですが、だからといって運命とか奇跡とかを信じないわけではないし、盲目的に信じているわけでもない。
ただ1つ信じていることは、自分の人生、自分次第だっていうこと。
もちろん運に左右されることはあるかもしれないけれど、左右される中でも、結局はその瞬間瞬間に対して自分がどう反応してどう行動するかにかかってる。
それでも、もちろん心が弱ることはあります。
それでいいんです。
七転び八起きでいいんです。
「人生に疲れた」を和らげる方法は、いろいろとあると思います。
もっと最悪な事態を想像して、それよりかはマシだと考える。
生きている限り、人生で起こるあらゆる困難はかすり傷だと考える。
疲れたらとりあえず何もかも忘れて休む。
「人生に疲れた」を癒す万能薬なんてないから、自分にとって1番利く方法を選べばいい。
自分の場合は、「今まで食べてきたお肉と魚と野菜のためにも生きよう!」って思うことにします!笑
【ちなみに】
2年前に書いたこちらの記事もよかったら読んでみてください!
https://yuzubaby.hatenablog.com/entry/2018/02/25/110556
少しでもいいなと思ってくださった方は、よければ読者になってください!
(↑ 煩悩にまみれる今日この頃...)
それではみなさん、コロナウイルスが流行っているので、どうかお気をつけてください。おやすみなさい!