社会人になって、「成長したい」「成長しなきゃ」と思ったことはありますか?
巷では自己啓発本や実用本が溢れ返る中で、いかに人として、ビジネスパーソンとして成長できるかを常日頃から考えている人は多いのではないでしょうか。
成長意欲があることは素晴らしいことだし、成長することで人生が豊かになると一般的には考えられていると思います。
でも、成長意欲との向き合い方を1歩間違えると、成長しようとすればするほど人生が虚しく寂しいものになってしまうことに気が付きました。
今日は、成長意欲のある人が陥る危険のある3つの落とし穴について書きます。
成長意欲がある人はもちろん、こんな風に思っている方にも読んでほしいです。
日々成長するために全力で頑張っているはずなのに、どうも心が満たされない...
若いうちはちょっと無理してでも成長するために頑張らなきゃいけないということはわかっているけれど、どうもハラ落ちしない...
今はとりあえず成長のために頑張っているけれど、成長の先に何が待っているんだろう...?
では、早速始めます!
I. 成長のための成長という落とし穴
成長のための成長になってない?
「成長してどうしたいの?」
この質問にとっさに答えられるでしょうか?
成長してもっとお金がほしいとか、成長してもっとモテたいとか、成長することによって訪れる「いいこと」はたくさんあると思います。ただ、それって成長することによって得られるうれしい副作用みたいなもので、本質的ではないと思うんです。
いや、別にいいんです。
もっとお金がほしいとか、もっとモテたいとか、そういった想いが成長意欲の原動力になっているなら、それはそれでいいんです。
というより自分を含めてほとんどの人は、成長意欲を因数分解したときに、そんな欲が紛れていると思います。
危険なのは、成長することによってどんな姿になりたいのかを描けていないまま、やみくもに目の前のことをひたすら頑張ればいつかはなりたい姿になれると妄信すること。
たとえば、「病気を治して元気な姿になりたい」と思ったとき、ドラッグストアで買ってきた数々の薬をやみくもに飲むのと、その特定の病気を治すために必要とされている薬を飲むのでは、どちらの方が病気が治る確率は高まるでしょうか?
後者ですよね。
ドラッグストアで買ってきた効能さえよくわからない薬を服用しつづけたら、副作用が起きて気分が高揚することもあるかもしれないし、一時的に痛みは和らぐかもしれない。でも、完全に病気を治して元気な姿になれるわけではない。
とりあえず薬を飲んでおけばいつかは元気な姿になれるだろう、という考えは、少し安易ですよね。
成長のための成長も、これと似ていると思うんです。
とりあえず頑張っていれば自分が望む姿になれると信じて日々頑張っていたとしても、そもそもどんな姿になりたいのかを明確に描けていなければ、頑張った先にある自分の姿は理想とはまったくかけ離れた姿かもしれない。
必ずしもすべての成長意欲に目的意識がなくてはいけないとは思いませんが、肝に銘じておきたいことは、必ずしも成長したからといって自分が望む姿になれるとは限らないということ。
もし現時点で自分が望む姿がどんなものなのかわからなければ、とりあえず目の前のことをひたすら頑張ってみる、というのは素敵な心意気だと思います。
ただ、思考を止めてひたすら頑張るのではなく、常に「この成長の先には一体何が待っているんだろう?」という想像力を働かせながら頑張ることで、自分の成長が何に通じているのか、それとも何にも通じていないのかを再確認するきっかけになるのでは、と思います。
II. 自分のためだけの成長という落とし穴
自分のためだけの成長になってない?
みなさんに質問です。
「人は何のために成長すると思いますか?」
もっとお金がほしいから?
確かにお金があればなんでも好きなものを買えますよね。
もっと社会的地位がほしいから?
確かに地位があればいろんな人からちやほやされますよね。
もっと自分に自信がほしいから?
確かに成長してパワーアップしたら、もっと自分のことを好きになれそうですよね。
さてさて、これらの成長意欲に共通することが1つあります。
それは...
すべて自己実現のための成長、ということ。
かの有名なマズローの欲求5段階説(人間の欲求レベルをピラミッド状で表したもの)でも、究極の欲求は「自己実現」ですよね。
だから「自己実現したい」という欲求はごく自然のものだと思うし、そのままでいいと思うんです。
ただ、自己実現の先に還元というステップが待っていると、もっともっと素敵だと思うんです。
たとえば、億万長者になった上で自身の財団を作ってとんでもない額を社会に還元しているビル・ゲイツ。
ビル・ゲイツほどの巨額を還元しろ、といっているのではなく、自分が成長してイケてる人間になったらそれで満足、それで終わりっていうんじゃなくて、自己実現を果たした上でいかに周りへ・社会へ還元していけるかを考えること。
この最後のワンステップがあるかないかで、人生の満足度が変わると思うんです。
というのも、どんなに自己実現を果たしても、とても悲しいことにわたしたちの命には終わりがあります。
巡り巡ってまた生まれ変われるかもしれませんが、少なくとも肉体的・物質的な面では終わりが来る。
どんなにチョコレートを我慢して手に入れたメリハリボディも、泣きながら腕立て伏せをして手に入れた筋肉も、長時間労働の末に手に入れた高級車も、大好きなあの服も...
いつかは失ってしまうと考えると切なくなってしまいそうですが、でも、少なくとも肉体・物質をいつかは失ってしまうことは確か。
となったときに、他人と自分を比較して自分磨きに徹したり自己投資に集中したりするのもいいけど、どうせなら自分がいなくなった後にも生き続ける、後世代に引き継げる何かをもたらすことに集中した方がよくない?
とか思うことがあります。
"You only live once."
という言葉通り、1度きりの人生思いっきり楽しむぞ!
という心意気はとても素敵だと思います。
だから自分の心の声に従って人生を楽しむ姿勢はもちろん大切ですが、自分の体型とか見た目とか性格とか成績とかに気を取られて人生楽しめなくなるぐらいなら、どんなに頑張ってもいつかは自然に還るのだから、どうせなら後世に与えて引き継いでもらえるものを増やそう、と思えばいいんやない、という感じです(偉そうにすみません...)。
III. 何かのための成長という落とし穴
何かのためにいつまで成長するの?
「何のために成長したいの?」
この質問の答えが明確な人は、それだけでもう上級レベルです。笑
ただ、もしかしたら1番知らぬ間に落とし穴にハマってしまうかもしれません。
というのも、もっと成長しなきゃ、と思うということは、同時にまだ成長できていないと思っているということ。
まだ成長できていないと思っているということは、本来成長した上でやりたいと思っていたことがいつまで経ってもやれないということ。
「いかに限られた時間で多くを吸収できるか」
に集中してインプットを追い求めて成長オタクになるあまり、アウトプット(成長を糧に生み出す成果)を出す機会を失ってしまう危険があるからです。
みなさんもすでにご存じの通り、成長に終わりはありません。
だから、
「成長してから~をしたい/する」
というのは、
「一生~をしない/できない」
といっているのと同じようなもの。
もちろん一定のレベルまで成長してからじゃないとアウトプットを出しづらい、というのはあるかと思いますが、あくまでも「一定のレベルまで」というのがポイント。
だって、完璧になるまで成長してから~をしよう、と考えていては、いつまで経っても実行をする機会が訪れることはないからです。完璧になるまで成長、というのはありえないことだから。
さてさて、なんだかいろいろ書いてしまいましたが、結局1番大切なことって、成長意欲に駆られすぎて自分を見失ったり大切な人を疎かにしないように肝に銘じなきゃねってこと(これはもちろん、みなさんにというより自分に向かって銘じていることです)。
そして何より、いかにいろんなものを吸収して自分を育てていくかの「成長」より、いかにいろんな成果を出して人を喜ばせていくかの「還元」方法をもっと大事に考えていける人になりたいものです。
~後記~
...とここまでいろいろ真面目くさって偉そうに書いてきましたが、この記事の冒頭に『新芽』の写真を挿入しようとしたとき、あることに気づきました。
「新芽って、別に還元しようと思って成長しているわけじゃないよなあ。ただただ、太陽の光や雨水、土の養分をいっぱい吸収して必死に成長しようとしてる。今その瞬間にある目の前のことにひたすら集中してる。
・
その間に還元のことなんて1mmも考えてないんだろうなあ。でも、結局新芽はやがて木の実やフルーツを実らせて他の動物に還元してる。
・
もしかしたら人間でいうところの成長も同じようなもので、生きているうちは「還元しなきゃ」とか思わなくても、ただひたむきに目の前のことに向かって努力して成長しようとしているだけでいいのかもしれないなあ。自分から還元しようとしなくても、自分の頑張る背中を周りの誰かが見ていてくれて、そこから何かを学び取ってくれているのかもしれないなあ」なんて思いました。
さてさて、この後記は最後に付け加えて書いたので、ブログの本文と矛盾する点があるかもしれませんが、あしからず...笑
今日は超真面目に書いちゃいましたが、少しでも何かのヒントになれば嬉しいです。
それではみなさん、おやすみなさい!
※2021.04.26 追記※
「上昇志向」という言葉がありますよね。
「よりよい自分になろう」と頑張るのは素晴らしいことだと思うのですが、「なぜ」そうなりたいのかの部分をおそろかにすると、根がちゃんとはりきれていない木のように、突風に見舞われたらポキッと折れてしまうような気がします。
だから、上昇しようとする前に、一旦自分を掘り下げてみること、題して「堀活!」をしてみるといいのかなあと、ふと思いました!
※なんでこんなことを思ったかというと... 最近(現在26歳)お金ほしいなあと思うことがよくあるんです笑。
前まではお金にそこまで重きを置いていなかったのに、自分も欲まみれの大人になってしまったのかしら... と思っていたのですが、「そもそもなんでお金がほしいんだろう?」を掘り下げてみると、「今まで育ててくれた母を海外旅行に連れて行って贅沢させてあげたい」みたいな理由が浮かんできました。
物欲はそこまでない(はず)なので、どちらかというと、お金があることで得られる「自由に選べる力」「大切な人に贅沢させてあげられる力」みたいなところに魅力を感じている今日この頃です。
ただ単に「もっとお金を増やそう」ばかり考えていたら、「あれ?なんでそもそもお金が欲しいんだっけ?」と途中で挫けてしまうかもしれませんが、お金を増やしたい本当の理由をあらかじめ考えて掘り下げておくことで、「お母さんを海外に連れて行って贅沢させてあげたいからだ」と初心に立ち返って頑張る原動力になる。
だから、成長したいと思ったときは、自己研磨して自分を伸ばそうとする前に、一旦「なぜ」をあらかじめ言語化して根を張ることで、途中で挫けそうになったときにも踏ん張れる土台ができるのかなあと思います!