北極星のみつけかた|yuzubaby

自称宇宙人のゆとり世代が書く雑記ブログです。

北極星のみつけかた

幸せの類義語は「もらう」ではなく「与える」かもしれない。

幸せとは何か?

 

わたしたちがよく問いかけるこの質問。

 

幸せの定義を的確に答えることは難しいかもしれないけれど、幸せの類義語を考えてみたらどうだろう?

 

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I. 恵まれてるのに「幸せとは」を追求する現代人

 

ずっと考えていました。

 

なぜ先進国であればあるほど、恵まれているはずなのに心の病を患う人が増えるのか。

 

もちろん、すべての先進国でこのような現象が起こっているとは限りませんし、先進国だからといって全員が恵まれているとは限りません(何をもって恵まれているとするのかは人それぞれですが、ここでいう「恵まれている」とは、金銭的余裕があって食べていくのに困らない状態を指すことにします)。

 

ただ、日本に限って言えば、日本人の平均的な収入は戦後より今の方が高いし、何より現代の日本人は戦争で命を落とす危険とは無縁の生活を送っている。それなのに人口過密状態の東京を行き交う街の人々はどこか険しい顔をしている。

 

なんでだろう?

 

いくら物質的に恵まれていても、精神的にも恵まれているとは限らない。でも、だとしたら、なんで精神的には恵まれていないんだろう?どうしたら精神的にも恵まれて満たされた状態になれるんだろう?

 

そんなぼんやりした問いが答えを見つけられないまま自分の中を浮遊していました。

 

学生時代は、頑張って勉強して立派な大人になったら、自分で生計を立てられるようになったら、悩みごとなんてなくなるだろうと思っていました(ちょっといいすぎですかね笑)。

 

でも、実際に大学を卒業して、社会に出て、自分でお金を稼いで、実家にもある程度の額を毎月渡せるようになって、周りからしたら安定した生活を手に入れていると思われるだろう今、手放しに毎日ハッピーかと言われると、必ずしもそうではないのです。

 

人と会っているときは何も考えずにけらけら笑っていられるのに、1人になると「THE KANGAERUHITO」に知らぬ間に変身して色々考えこんでしまう。

 

そんな中、台湾の大后天で引いたおみくじのようなものに、こう書いてありました。

 

足るを知り、欲張ってはいけません。努力を怠らず、ひたすら善行を重ねていれば、心配することなど何もないのです。

Be content with your portion in life, and do not make undue demands. As long as you focus on doing good, and work industriously, you will not have anything to worry about.

 

この言葉を見て思いました。

 

「そっか、わたしは欲張りすぎなんだ。いろんなことにおいて求めすぎてるんだ。」

 

II. どれだけもらえたかより、どれだけ与えたか

 

別に何かを求めることは自然だし悪いことではありませんが、求めるばかりで与えることを忘れてはいけない。

 

というか、求めるばかりより、与えてばかりの人生の方がむしろいい。

 

求めたところで得られる確率なり量なりは限られているし、求めても得られなかったときの虚しさより、与えて誰かが喜んでくれたときの嬉しさの方がいいに決まってる。

 

もちろん、「与えることは奪うこと」というように、子どもが自分1人でもできることを親が代わりにやってあげたり、相手の気持ちを考えず自分の善意の押し付けで無理に何かを与えようとすることは違う。

 

時として「与える」行為が適切なのかどうか考えなければいけないときもあるだろうし、与えるにしても「与えてあげる」っていう上から目線ではいけないだろうけど、ただシンプルに相手のことを想いやって何かをするという行為のことを「与える」と呼ぶのなら、もっともっと与えられる人になりたい。

 

なぜ先進国であればあるほど、恵まれているはずなのに心の病を患う人が増えるのか。

 

この問いに答えるとしたら、「どれだけ自分が与えているか」という意識が抜け落ちてしまっているから。

 

III. 人と比べるヒマがあったら

 

いつだって無意識に人と自分を比べてどっちの方がたくさんのものを手に入れているかを比較しては落ち込む。海賊じゃないんだし、どっちの方がたくさんのものを手に入れているかなんて比較する必要ない。それでも無意識に比べてしまうのが人間。

 

もし「俺/私は他人と自分を比べたりしない。いつだって最大の敵は自分だと思ってる!」といった一丁前のかっこいい姿勢をおもちのみなさまも、きっと気づかないところで他人と自分を比べているはず。どちらの方が優れているか、ではなく、どちらの方がより自分と向き合って自己研磨しているか、という点で。

 

「もし自然と比べてしまうのが人間のサガだとしたら、人間は幸せになれないの?だって、常に他人と自分を比べて一喜一憂してたら、安定した幸せなんて手に入れられなさそうだし...」

 

と思われたみなさん。朗報です!笑

 

それは...

 

比較する対象を変えちゃえばいいんです。

 

どれだけ自分が他人より持っているかではなく、どれだけ自分が他人より与えているか。

 

他人と比較するとなったときに、どうしてもどちらの方がより多くの富なり名声なりを得ているか、といった「得る」ベースの比較を思い浮かべがちです。でも、ちょっと視点を変えてみれば、「与える」ベースの比較があってもいいはず。

 

「どちらの方がより与えているか」

 

この質問に対して「自分」と即答できる人がいたら素晴らしいのですが、上には上がいるというように、誰かのために与えている人は世の中にたくさんいる。それに気づくことができれば、いかに自分が誰かに求めてばかりで自ら誰かに与えようとしてこなかったかに気づくことができる。そして実際に誰かに与えて喜んでもらえたときは、時に誰かから何かをしてもらったときと同じぐらい、またはそれ以上の喜びを味わうことができる。

 

だから、もし幸せになりたいのなら(そして幸せの定義がただ物理的に恵まれることではなく精神的に喜びを感じられることなら)、求めるのではなく与える人になってほしい。

 

どうやったら自分を満たせるかではなく、どうやったら相手を満たせるか考える。

 

これを実践できる25歳を目指します。それではおやすみなさい!アディオス~!