Work & Live for What Really Matters
みなさん、お久しぶりです!
社会人になってから1年半。
自分を含めて、転職するかどうか迷っている社会人は多いのではないでしょうか。
今回は「なぜこんなにももやもやするのか」について考えてみたんです。
そしたら答えはシンプルでした。
きっと心のどこかで「どうでもいい」と思っているから。
「自分にとって本当に意味あるもの」のために生きていないから。
この記事では、最高の天職の見つけ方についてのコツを述べるわけではありません。
今の仕事にもやもやを感じている人が、もやもやに自信をもてるようになること。
会社にいると、
「将来どんなビジネスパーソンになりたいのか?」
とか
「今の自分にどんなスキルがあるのか?もしないなら身につけるべきでは?」
とか
まあそうだよねっていうことを言われるわけですが...
わたしにとってはある視点が抜けている気がしてなりませんでした。
それは...
人生いつどうなるかわからない
「そんなのみんな言ってるしわかってるよ。」
こう思われるかもしれません。
でも、脳みそレベルじゃなくて細胞レベルで実感している人って、
誰かを突然失ったことがある人か、
自分自身が生命の危機に瀕した人ではないでしょうか。
大学時代に先輩3人を事故で失い、卒業直後には一緒に留学した友人を失いました。
一緒に留学した友人とは卒業後もたまに会って当時の思い出を振り返るんだろうなー
そう思っていたわたしにとって、友人の死を受け入れることは耐え難いことでした。
周りの友人にもこのことは話していませんが、実は今でもほぼ毎日夜中に飛び起きて叫んでいることがあります。
いなくなってしまった友人の名前を叫んで、「いやだ!」と叫んでいる自分がいます。もちろんほぼ無意識のできごとで、すぐまた眠りに戻るのですが...
とちょっと感情的になってしまいましたが、 とにかく大学時代に身近な人の死を経験したことで、人生本当にいつどうなるかわからないことを実感したんです。
そしてそんな中でよく考えることは...
どうなるかわからない人生だからこそ、どうでもいいことのために生きたくない
新卒で入社したコンサルティング会社。
コンサルタントの仕事は、クライアントの想いを実現するお手伝いをすること。
「クライアントファースト」の精神は素晴らしいと思うのですが、
最近になって「自分にはクライアントファーストは向いていないかも」と思うんです。
理由は単純。
クライアントが実現したいことと自分が実現したいことに乖離があるから。
日本の大企業がやろうとしていることは、グローバル化だったりデジタル化だったり...
日本の大企業がやろうとしていることに反対するつもりはまったくなくて、
むしろ何万人もの従業員の生活を支えてくれている企業はすごいと思います。
ただ最近よく思うことは、
「便利なものをより便利にするより、足りていないところにもたらしていきたい。」
この考えを理解してくれる人は今の会社にも一定数いるものの、やっぱり理解してくれない人が多いのかな、とも感じます。
ただ、最近はそれでいいと思い始めました。
というのも、自分のもやもやを誰かにわかってもらう必要はない。
自分がもやもやしているなら、そのもやもやに自信をもてばいい。
この前にとある経営者の方と話している中で、
「今の日本は豊かでなんでも揃っていて、何不自由なく...」
という発言がありました。
でも、その方が見ている「日本」って、あくまでもその方が見てきた日本でしかない。
同じ日本の中でも貧困層と言われる人は一定以上いるわけで...
その方の視野が狭いとかどうとか言いたいわけではありません。
ただ原体験が違うだけだと思います。
その方はたまたま豊かな子供時代を過ごしてきたから、
自分の過去を他の人にも投影して重ね合わせて、他の日本人も豊かにすくすく育ってきたと思っているんだと思います。
その人に対して「日本の子どものうち、7人中1人は貧困で〜」と話しても、ピンとこないのは当たり前かもしれません。
だから、上司・同僚に自分がやりたいことを話して微妙な反応があったとしても、
「なんでわかってくれないんだろう」と落ち込むのではなく、
「わかってくれないことはむしろ当たり前」ぐらいに思えばいい気がします。
そして自分が想いを燃やし続けて何かしらの行動をし続けた先には、きっとわかってくれる人もちらほら現れるんだろうと思います。
仕事において1番大切なのは、自分がその仕事に対してどれだけ誇りをもてるか。よく「本当の敵は自分」と言いますが、まさにその通りだと思います。
周りから理解されなくても、自分の想いを最後まで信じ続けられるか。周りから反対されても、説得する暇があるならやりたいことをやろうと割り切れるか。自分は自分にとって最大の味方にも最大の敵にもなりうる。せっかくなら、最大の味方になってあげればいいと思います。
最後に...
心を芯から激しくアツくするものは?What Really Matters?
もし転職なり自分がやりたいことなりに対して何かを言われたら、その人に直接聞いてみてほしいことがあります。
それは...
・仕事で何を成し遂げたいかより、人生で何を成し遂げたいか考えたことある?
・とりあえず3年じゃなくて最後の3年かもしれないって考えたことある?
・心が激しく揺さぶられた原体験をしたことある?
・自分の仕事(=社会にもたらしているもの)を心から誇れる?
・人生において最高のワクワクを追い求めたいと思ったことある?
もしすべての問いに対してはっきりした答えが返ってくれば、その人の言っていることに耳を傾けるのも面白いかもしれませんが、もしうやむやな答えしか返ってこないのであれば、その人の言っていることは「ふんふん」と聞いていればいいと思います!笑
もちろん人にはそれぞれの原体験があって、その原体験から導き出された価値観があって...
自分より年上だから偉いとか、自分より位が上だから偉いとかじゃなくて、純粋に自分とは違う人生を必死に生きてきた人の話を素直に聞いてみることで、いろんなことを考えたり気づいたりするきっかけになると思います。
ただ、その人が言っていることを受け入れることと取り入れることは違う。
つまり何が言いたいかというとですね...
自分の想いは周りになんと言われようと大切にしてほしいし、周りに何か言われることで自分の想いに拍車がかかってしまうぐらいなら、いっそのこと周りに何も言わなければいい。
何かしらに対してもやもやしているということは、自分の中で腑に落ちていないことがある何よりもの証。
だから、とにかく自分のもやもやに自信をもってほしいです!
最後に...
自分の人生において1番よかったと思う決断は、日本の私立を辞めてインターナショナルスクールに行くことを決めたことです。決断のきっかけは本当にひょんなもやもやからでした。
音大付属の小学校に通っていたので、中学校も音大付属のところに行く予定でした。まさにエスカレーター式の進路。特にピアノが好きでもなかった自分は、中学校の合格通知を見たとき、
「入学を許可する。」
この「許可」というひとことに絶大な違和感を覚えたんです。
「え、許可?別に許可されてまで行きたくないんだけど...」
今から思うと恐ろしいクソガキですね。笑
ピアノよりも旅とか国際とかいったキーワードに惹かれていた当時の自分は、母が見つけてくれたインターナショナルスクールというものに飛び込むことを決意。あのとき「許可」という言葉に対して猛烈に感じたもやもやのおかげで、あの後必死に英語を勉強し、大学ではカナダに留学し、旅先ではいろんな人と英語で笑いあうという贅沢な経験を得ることができました。
※母子家庭なのに教育を受けられたのは祖父母の支援のおかげです...
あのときの経験があったからこそなおさら、自分の人生においてもやもやは最高のサインでしかないと思っています。
最後に(さっきも最後と言った気がしますが、これが本当の最後です!笑)...
インターナショナルスクール卒業時に書いた作文を見つけたので、今の仕事にもやもやしている自分そしてすべての方へ贈ります。
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「安定志向者よりも冒険家であれ」
進路選択にあたって安定と目標のどちらを目指すか迷っている方もいるかもしれませんが、そもそも安定した人生なんてありません。
人生は川下りに似ていて、黙っていても時間は流れていくし、予想外の連続です。どうせ予想通りにいかないなら、ときには川の流れに身を任せて冒険を楽しんでみるのもアリですよね。
私は親の薦めで音大付属の小学校に通っていましたが、エスカレーター式で自身の進路が決められていることが嫌でした。
将来は国際協力の分野で働きたいと考えていたからです。そんなとき母がCISを見つけてくれました。
生徒が自ら発言して参加する相互通行の授業を通じて学ぶことの楽しさを知り、打ち込んだ分だけ成長も評価もついてくることが嬉しくて毎日猛勉強。CISのおかげで自分も人生も変わりました。
親や学費に進路選択を制約されることもありますが、目先の制約囚われず将来の「なりたい像」を大切にしてほしいです。意志あるところに道は開けます。