みなさん、こんにちは!
外資系ITコンサルティング会社において、プロボノを半年間実施しました。
ミッションは、1万人以上いる日本支社の社員に社会貢献活動へ参加してもらうこと。
プロボノとしてアサインされた後、プロボノに応募した理由・プロボノ任期中に達成したい目標について話す機会がありました。そのときにチームリードからもらった言葉。
「ソーシャルビジネスが普通のビジネスと違う点は、共感を集めてお金を稼ぐ点。将来ソーシャルビジネスをやりたいなら、『いかに社員から共感を集めるか』を意識するといい。社員は約1万人もいるから、ある意味日本社会の縮図だと思っていい。約1万人の心を動かすために行動して学んだことは、今後ソーシャルビジネスをやる上でもきっと役に立つ。
モチベーションに火をつけることがうまい人は、組織のニーズと個人のニーズが交わる点を見出してあげられる人だなあ、と思いました。
ということで、プロボノとして「いかに人の心を動かして行動を促すか」を日々考える中で得た気づきがあるので、連載形式でぼちぼち共有していきます。
言葉が命取りになる。命拾いにもなる。
言葉が与える印象について考えるようになりました。
日本語には言霊という言葉があるように、言葉から人は特定の印象を受けます。
そして言葉から受けた印象が、言葉を発した人の印象にもなっていきます。
言葉は人によって生まれ、人によって育てられ、人によって捨てられる。
言葉は生み出した人によって定義され、
使われることによっていろんな形で解釈されて特定のイメージを帯びるようになり、
必要とされなくなると死語になる。
プロボノを行なう中で、言葉選び1つで人の反応が変わることを体感しました。
自身が所属していたチームの目標は社員の社会貢献活動への参加を促すことなので、
1年間で色々な分野のプログラムを行ないます。
チームの古くからの慣習で、参加者を募集するときは、
「ボランティア募集」
という言葉を使っていました。
でも、ボランティアという言葉を使うことにはリスクがある気がします。
ボランティアの定義=自分の意思で参加すること。高尚で素晴らしいですよね。
ただ、日本ではボランティアという言葉の解釈ひいてはイメージに難ありというか...
1つの国の中にもいろんな考えをもつ人がいるので、
この国はあーだ、この国はこーだ、というのもどうかと思うのですが、
日本とカナダを比較してあーだこーだ言ってみると...
カナダではボランティア=慈善活動
日本ではボランティア=偽善活動
こんな具合に、ボランティアという言葉に抱く印象がそもそも違う気がします。
カナダと比較すると日本のボランティア参加率が圧倒的に低い理由の1つとして、
「ボランティアってどうなの?結局ただの偽善じゃないの?自己満足じゃないの?」
みたいな懐疑心があるからなのかなあって思っていました。
実際にカナダと日本のボランティア参加率を比較してみると...
カナダ:47%
日本:26.8%
<参照元>
Statistics Canada "Volunteering in Canada, 2004 to 2013"
内閣府『平成26年度 市民の社会貢献に関する実態調査 報告書』
日本のボランティア参加率が低い理由について、
ボランティアという言葉に対するイメージのせいだと勝手に仮説を立てる前に、
データをもとに話を進めようと思って調べてみました。
ボランティアってどうなの?結局偽善?自己満足?と懐疑心をもっている人は...
12.4%
この数字はあくまでも指標ですが、平成25年度の『市民の社会貢献に関する実態調査』において、ボランティア参加の妨げとなっている理由として「ボランティアを受け入れる団体・NPO等に対する不信感があり、信頼度に欠ける」と答えた人の割合です。
<参照元>
内閣府 市民活動促進担当『ボランティア関係参考資料』(平成26年度)
https://www.npo-homepage.go.jp/uploads/report33_ikenkoukan_3_6.pdf
ボランティアという言葉に対するイメージのせいで参加しない人がいるー
これがどれだけ本当か、これを解消したところでどれだけ効果があるのか。
それはまた別の議論となってしまうので割愛するとして、
とある言葉が命取りとなっている場合にどうしたらいいのかを考えてみました。
言葉の印象を変えて人の心を動かす方法
1)命取りとなる言葉を特定する
2)原因となっている理由を気持ちベースで分析する
3)新しい定義 or 言葉をもたらす
たとえば「ボランティア」の場合...
1)命取りとなる言葉を特定しする
→ボランティア
2)原因を分析する
→不信感(ex. 偽善活動?自己満足?)
3)イメージを変える or 言葉をもたらす
<ボランティアという言葉がもつイメージを変える>
旧:承認欲求のために、求められていないことを押しつけようとする偽善活動
新:相手が求めていることに対して、自分ができることをする慈善活動
<ボランティアに代わる新しい言葉をもたらす>
旧:ボランティア
新:社会貢献プログラム、コーポレート・シティズンシップ(企業市民活動)
どれだけ効果があるかはわかりませんが、実際に会社で社会貢献系イベントへの参加者を募集するとき、「ボランティア」という言葉がもつイメージが命取りにならないよう、「ボランティア募集」というより「社会貢献プログラムメンバ募集」と言うようにしています。あとは、ボランティアという言葉がもつイメージを変えるべく、下記のような文章を広報文に入れてみたこともあります。
子供たちが無料でディズニーランドやユニバーサルスタジオを楽しめるGive Kids the Worldの創設者ヘンリー・ランドワース氏は、「ボランティアは"Pass me the salt"と言っています。「今あなたができることを目の前の人にするだけ」という意味だそうです。
世間で「ボランティアは偽善活動である」といわれることもあります。支援者から必要とされていないボランティアは自己満足で終わってしまうかもしれません。しかし、必要とされていることをするのであれば、ボランティアは相互満足を産むことができます。ボランティアに対して半信半疑の方、普段は忙しくてボランティアに参加できない方も、たった10分またはワンコインを使って当プロジェクトに参加してみませんか。
最後に...
超余談ですが、この記事を書いていて個人的にいいなあと思った言葉は、コーポレート・シティズンシップです。
「社会に影響をもたらしている大企業の社員(=企業市民)として、自分たちが社会に与えている影響の中でネガティブの割合を減らしてポジティブな影響の割合を増やすことは当然でしょ。」
こんな気持ちいい上から目線、なんだかいいですよね。
「〜しなければならない」との使命感から社会貢献活動に参加するというより、
「〜するのはもはや当然」との使命感の超越版によって参加する感じがイイですよね。
まあこの気持ちよさが成立するためには、あくまでも「〜するのはもはや当然」と誰かから押しつけられるのではなく、自分の心の内から思えるようになることがミソですけどね!
まあそんなこんなで、言葉を巧みに使って人の心を動かせるよう、今後も精進します!
みなさん、これからもよろしくお願いします!