北極星のみつけかた|yuzubaby

自称宇宙人のゆとり世代が書く雑記ブログです。

北極星のみつけかた

大人ってさ... ホントに強いの?それとも強がってるの?

Are We Truly Strong? Or Are We Pretending to be Strong?

 

大人になって強くなったかと言われたら、強くなった気がします。

 

f:id:yuzubaby:20181012025338j:plain

 

でも、外ヅラだけ強くなっただけかもしれない。

 

自分の外側が強くなればなるほど、自分の内側が弱く感じてしまう。

 

これって、本当に強くなったって言えるのでしょうか?

 

秋の夜道を1人歩いているとき、こんなことを考えていました。

 

まったく、いつになったらこのソクラテスキャラから抜け出せるのでしょうか...

 

「かわいこぶるならまだしも、ソクラテスぶるんじゃねえ!」

 

と思われたソクラテスファンのみなさん、ごめんなさい。

 

ジャンピング土下座します...

 

話が逸れたので本題に戻ると...

 

大人になった今のわたしは、強いのではなく、強がっているのかもしれません。

 

イメージは...

 

たくましいハートをもった勇者というより、たくましい鎧をまとった臆病者。

 

だだっ広い野原で鎧に身を包んで立ちすくむ自分の姿が脳裏に浮かんで、

 

こんなことを考えていました。

 

鎧を着て矢をはね返す者は、強いのか。

鎧を着ずに矢を受ける者は、弱いのか。

 

誰かが自分に向けて矢を飛ばすわけがないと鎧を脱ぐのか。

そして生身で人と接して人のぬくもりを感じようとするのか。

 

誰かが矢を飛ばしてくるかもしれないと鎧を着ておくのか。

そして人肌を感じられずとも自分を守ることを最優先するのか。

 

物心がつく前は(←カッコつけた言い方をしてみました笑)、

 

鎧で身を固めてカッコつけている保守的な大人を見る度に、息苦しくないのかなって思っていました。心の奥底では自分が本当に求めているものをわかっているはずなのに、傷つくことを恐れて挑戦しない。そして傷つかない自分をカッコいいと思ってる。

 

「なんかカッコ悪い。」

 

正直そう感じていました。

 

でも、大人になった今、どこかで鎧に頼ろうとする自分がいました。

 

「これ以上傷つきたくない。これ以上裏切られたくない。」

 

(↑あ、これだけ見るとすごいダークな雰囲気が漂ってますが、至って元気に毎日過ごしているのでご心配なく...(それでも心配してくださる優しい方は、チョコレートでも与えてもらえると泣いて、いえ、笑って喜びます!))

 

またまた話が脱線しかけましたが、まとめると...

 

・子どもの頃は純粋無垢

・大人になるにつれていろんなことを経験する

・一種のトラウマも経験する

・もう傷つきたくないと自己防衛心理が働く

・鎧を身に纏うようになる ←今ここ

 

こんな感じでしょうか!

 

それにしても、思うんです。

 

「鎧を常に着ているのって、なんだか窮屈。息が詰まる。」

 

そこで、思ったんです。

 

鎧を着るか着ないかは自分次第だけど、

 

息苦しい鎧を着て一生自己防衛し続ける人生よりも、

 

多少矢を受けようとも鎧を脱いで深呼吸できる人生の方が、

 

なんだかんだ魅力的だなって。

 

鎧を脱ぐとはどういうことかというと、傷つくことを恐れないことではなく、傷つくことを恐れつつも、素のままの自分で生きようとすることだと思います。

 

ズバリ!わたしにとって鎧を脱いで生きるということは、

・世間から非難を浴びることを恐れていようとも、自分の本心に正直に生きること

・誰かから裏切られることを恐れていようとも、自分をさらけ出してみること

・駆け引きに負けて不利な立場に陥ることを恐れていようとも、自分の信念を貫くこと

 

はい!ここで人気アーティストTaylor SwiftのDelicateをお送りします。

世間の目を恐れて仮面を被るのではなく、ありのままの自分を生きようとする姿をうまくビジュアルで表している気がしたので...!

www.youtube.com

 

「...なんかキレイゴトを並べているようだけど、こんな感じで鎧を脱いで生きていたら、何かあったときにめちゃめちゃ傷つきそうじゃん!」

 

と思われたそこのあなた。す、鋭い...(そんなあなたには座布団3枚!いえーい)

 

ただ、思ったんです。

 

そもそも、傷つくことっていけないこと?

 

傷つくことはネガティブなこと・起こらない方がいいことって潜在意識レベルで思っていましたが、傷つくこと自体は悪いことじゃないのかもしれない。

 

ダイヤモンドだって、傷つくことで磨きがかかりますし!

(傷つくことで磨きがかかるっていう響きはなんだか意識が高いドMみたいな発言でしたね... わたしは至ってNなのでご心配なく... あ、NっていうのはNeutralの略です。)

 

「傷つくことがいいとか悪いとかいう話じゃなくて、傷つくことは辛いから嫌なのよ、このバカヤロウ!」

 

と思われたみなさん...

 

ちょっと秋の空気を吸って出直してきます...笑

 

ただですね、

 

傷つくことは辛いかもしれないけれど、傷つくことを避けようとするあまりに人生のいろんなリア充モーメントを逃す方が辛いかもしれない。

(あ、リア充モーメントというのは恋愛に限りませんよ!)

 

さらにいうと...

 

本当に怖いのは、傷つくことそのものではなく、傷ついて立ち上がれなくなること。

 

だったら、傷つくことを防ごうとするのではなく、傷ついて立ち上がれなくなることを防ごうとする方がいいのかもしれない。

 

ということで、これからは鎧を脱いで、自分の弱みも隠さずに笑ってさらけ出せるぐらい、なるべく誰に対してもありのままの自分でいようと思います。

 

ただ、裸で生きていくことでまともに矢を食らって立ち上がれなくなるのは嫌だ!

 

(幼稚でごめんなさい...笑)

 

ということで!

鎧を着る代わりに、矢が飛んできたときに隠れられる穴を作るとともに、矢を受けたときに傷を癒せる薬を常備しようと思います。

 

「それなら始めから鎧を着ておけばいいじゃん!」

 

と思われた方へ...

 

確かにそうなのですが、鎧を着ていると、自分の外側だけが強くなる一方で、内側も強くあり続けるための努力を怠ってしまいそうで、かつ外側が強くなったことで自分の内側まで強くなったと勘違いしてしまいそうなので...

 

傷つくことを恐れずに、いえ、恐れていたとしても、鎧を脱いでありのままでいる。

ただ、矢を受けて傷ついたときに休んで立ち直れるよう、穴と薬を用意しておく。

 

以前、大学の友人が「自立とは依存できる環境を複数持つこと」と言っていたのですが、まさにここでいう穴が「依存できる環境」なのかなあと思います。

 

そしてここでいう薬は「傷ついたときに慰めてくれるもの・人」なのかなあと。

 

今日つらつら書いたことを究極的に要約してみると、

 

・生きていれば傷つくこともある。なるべく傷つきたくない。

・でも、傷つくのが怖いからといって鎧に身を包んで生きることは、もっと辛い。

・ならばいっそのこと鎧を脱ぎ捨て、素の自分で生きよう。

・鎧を着なかったばかりに矢を浴びたら、自分を慰めてくれる環境/もの/人に頼ろう。

 

ハロウィンも近づいてきたのでいっそのこと鎧を可愛くデコレーションして着てみるっていうのもアリですが、それだと本末転倒してしまうので、転倒する前に寝ようと思います。

 

今日も長い間お付き合いくださって、ありがとうございました。

 

感謝。感激。そして雨あられ

 

さて、ここまで読んでくださった素敵なみなさんに、そしてここまで一気にスクロールしてくださった効率パーソンなみなさんに、ネットで見つけた素敵な言葉をご紹介します。

 

I've never met a person with an easy past

Some people think that being strong is to never feel pain. In reality, the strongest people are the ones who feel it, understand it, and accept it.