3, 2, 1... Jump! What Billy Elliot Tells You about the Hottest People on Earth
ホップ!
ステップ!
ジャーンプ!
ヘンなノリで始めてごめんなさい。
そしてうさんくさいタイトルでごめんなさい。
まだアフィリエイトは始めていないのでご安心を...(全部夏のせいだ...)
さてさて、突然ですが、みなさん。
好きな人はいますか?あるいは憧れの人はいますか?
その人はカッコいいですか?(性別は問いません!)
即答できる人、ちょっと考える人…
お気づきのように、この質問にはいろいろな返し方があります。
よく「人は見た目より中身」VS「中身より見た目」の議論が繰り出されます。
しまいには「見た目も中身も大事」なんて意見も出てくるかもしれません。
人になんと言われようと「自分がカッコいいと思えばそれでいい。」
そう思えたら素敵ですよね。そして結局はここに帰結するのかなあと思います!
...
ただ、せっかくここまで読んでくださったみなさんに対してこんなありきたりな結論で終わるのは申し訳ないので、今まで自分が出会ってきた「この人カッコいい!」の共通点を述べてみます。
え?興味ない?
そうですね…
あっそうそう(話を逸らしてみました)。
冒頭の写真2枚は、映画「Billy Elliot(邦題:リトル・ダンサー)」のものです。
この映画は、「男らしくあれ」という父の信念のもとでボクサーを習っていた少年ビリーが、ひょんなことからバレエを通じてダンスの楽しさに気づく物語。「男がバレエをやるなんてダサい」と思われていた時代背景の中で、いかにビリーが葛藤しながらも自分の好きなことに向けて奮闘していくかを描いたもの。
Billyはまさに、これから書く「本当にカッコいい人」を体現しているので、冒頭を飾っていただきました!
あ...
ながーいながーい前置きはこれぐらいまでにして、本題に入ります!
(ここまで読んでくださったみなさんはすでにイケてる方々です!イエーイ!)
I. 見た目 VS 中身をめぐる争いはもう古い?
もう古いかどうかと言われるとまだまだ健在だとは思いますが、見た目重視か中身重視かという議論自体は古い気がします。
見た目と中身をどっちか選べと言われても、大抵の人は1つに選びきれないだろうし、
見た目と中身のどちらか1つを重視するということは、どちらかを軽視するということ。
そもそも見た目だけで中身は判断しきれないし、中身が見た目に表れていることもあるし、見た目と中身は切っても切り離せない関係なのかなあと…。もし見た目か中身のどちらかで相手を選んでいるのだとすれば、それは相手を丸ごと理解していない・愛していないということ。これは、恋愛においても友情においても言えること。
たとえば、ブランド物で身を包んでいる人がいたとします。
着ている服も、漂わせている香水も、身につけている時計も、持ち歩いているカバンも、すべて高級ブランド物。髪型もピシッと決めて、背筋をピシッと颯爽に歩く人。その人のことを見た瞬間「カッコいい!」と思う人もいれば、「わたし/僕のタイプじゃないな」と思う人もいるでしょう。
でも、たったそれだけの情報でその人の何がわかるのか。
ブランド物を買い揃える理由は、権力を示したいからかもしれないし、そのブランドに特別な思い入れがあるからかもしれないし、もしかしたら自分に自信がないからかもしれない。
ブランド物に身を包んでカッコよく見えたとしても、本当に中身もカッコいいとは限らないし、見た目に負けじと中身もカッコいいかもしれない。
「見た目重視だからブランド物を身につけてカッコよく決めている人に惹かれる」という人は、ブランドマン/ウーマンの相手の中身を理解しきれていない気もするし、
「中身重視だからブランド物を身につけて華やかな人生を送っている人より素朴で真面目な人がいい」という人は、ブランドマン/ウーマンの中身を外見で最初から決めつけている気がする。
もちろん相手を知るうちに中身に惹かれたり外見も受け入れるようになるのかもしれませんが... 何が言いたいかというと、見た目か中身か、どちらかだけで人を判断するのってあんまり意味ないのかなあと思う今日この頃です(この頃というのは17:35です。どうでもいいか..)。
II. カッコいい人は、ダサい服を笑顔で着る
このサブタイトルを見て、「なんだこのうさんくさいブログは!」と思った方がいるかもしれません。ご安心ください、わたしもそう思いました。笑
「ダサい服を笑顔で着ている人って… ただの楽観主義者か、ただのバカやん!」と思った方もいるかもしれません。そう言われてみると確かに…笑
とにもかくにもですね!
ダサい服を笑顔で着ている人って、カッコいいと思うんです。
もうちょっと正確にいうと、ダサい服を「本当にカッコいいと思って」着ている人。
確かに第三者からしたらその服は「ダサい」かもしれないし、パリコレになんて到底行けないかもしれません。服を着ている本人が恥ずかしそうにモジモジしていたら、ダサい服はダサいままで終わってしまうかもしれません。
でも、どんなに周りからは「わー、あの人ダサ子 / ダサ男!」って目で見られたとしても、自信満々の表情で背筋を伸ばして堂々と歩いていたら?
なんというか、「ダサい」が「すごい」に変わり、次第には「あの人自信満々ですごい、なんかカッコいい…!」と輝いて見えますよね!
(え、見えない?)
まあつまり何が言いたいかというとですね…
周りにウケるものに合わせて自分の外見・中身をチューニングしている人ではなく、自分が好きなものをもとに自分を表現している人ってカッコいいですよね!
「1文にまとめられるなら最初からそう言えよ!わたし・俺の時間を返せ!」って声が聞こえてきた気が…
まあマザーテレサが「戦争反対のデモには参加しないが、平和推進のデモには参加する」と言っていたように、ここまで読んでくださったみなさんもマザーテレサのような方々だと信じて...
「わたし・俺はマザーテレサじゃねえ!」
とツッコまれた方は...
そうですね...
きっと合コンか何かで「好きなタイプはダサい服を笑顔で着ている人」トークをしたら盛り上がると思うので、自己投資の時間だったと錯覚してください…
…(1分経過)
…(5分経過)
...はい、みなさん、無事錯覚に成功しましたか?
それでは次に進みますね!
III. ウルトラカッコいい人は、ダサい服をカッコいいと思わせる
もしかしたら、こう思っている方がいるかもしれません。
「確かに自分の好きなことだったり信念だったりを体現して生きている人ってカッコいいけどさ… やっぱり人間である以上、周りから批判されたら落ち込むし、周りからも認められたいよ。」
うーん、確かにそうですね…
自分の好きなことや信念が周りからもすんなり賞賛されればラクかもしれませんが、周りから批判されたら辛いですよね。
では今までの話はなかったことに…
とするとプチ炎上しそうなので(炎上するほどこのブログは広まっておりませんが…笑)、ダサい服を着つつも周りに認められる方法があります。
「そんなの簡単じゃ、流行りモノののカッコいい服に着替えばいいんじゃ!」
とツッコまれたみなさん。
確かに...!
ただ、着替えるのではなく、ダサい服さえも「カッコいい服」だと思わせてしまう人が、松坂牛並みにカッコいい人だと思います。
周りに認められようと自分の信念を変えるのではなく、自分の信念を貫き通し、ゆくゆくは周りがおのずと認めてくれるようになる。
ピカソなど、過去の偉大な著名人はこの世を去ってから認められるようになったように、自分を貫き通しながらも生きているうちに認めてもらうのは難しいのかもしれません。即席でモテたいだとか、今すぐ社会に認められるようになりたいだとか、そういった願望を持っているのであれば、もしかしたら既に世間に認められている「カッコいい服」を着る方が早いのかもしれません。
でも、まだ世間に認められていないものが認められるきっかけになれたらカッコいいと思うし、そもそも世間に認められなくとも自分が幸せならそれでいいと満足できるのならそれでいいと思うし、そもそも「世間」って誰ぞやって考えたとき、実は世間なんてそんな大それたものじゃないって気づくと思います。
「世間」と聞くと、日本人全体だったり、世界の60億人だったり、大規模な得体の知れない集団を思い浮かべがちですが…
みなさんは、スーパーマーケットですれ違うおじさまやカフェでお茶をしているお姉さんを意識したことはありますか?その人たちが喜ぶ人生を生きようと思ったことはありますか?
わたしたちが考える「世間」は、実は自分を育ててくれた人だったり友達だったり恋人/パートナーだったり、実はすごい狭い領域にいる身近な人々の総称ではないでしょうか?
もしも世間が得体のしれない集団ではなく身近にいる人々のことを指すのであれば、その人たちはなんだかんだ最大の味方です。心配して反対されることも多々あるかもしれませんが、ダサい服を着ているからと言ってみなさんのことを嫌いにはならないでしょう。もし嫌われるようなことがあれば、その人たちのことは放っておきましょう!笑
何が言いたいかというとですね…
ダサい(かもしれない)服を着ても世間(=みなさんにとって本当に大切な人)からの愛が変わらないのなら、みなさんの範疇外(道端ですれ違うおじさま・おばさまやカフェで隣になったお兄さん・お姉さんなどなど...)の声は無視して、ダサい服を着てしまえばいいと思います。
カッコいい服を着てても自信なさげにしている人より、ダサい服を自信持って着ている人の方がカッコいいから。
そして自分はダサいと思っていても、それほどダサくない(むしろカッコいい)と思ってくれる人も絶対中にはいるはずだから。
そしてダサい服を自信持って着ていれば、そのうちその服(むしろみなさん自身!)をカッコいいと思ってくれる人が現れるから。
「一体お主はこのブログで何を布教したいのじゃ!」
そんな天の声を子守唄に、今日も眠りにつきます…(実はまだおやつの時間)
ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございました!
最後まで読んでくださったみなさんも、冒頭からここまで最速かつ華麗なスクロールをしてくださったみなさんも、ウルトラカッコいい人(略してウルトラマン!)ですので、自信を持ってダサい服を着てください(スクロールしてここまで辿り着いた系ピーポーの方は、脳内が「は?ダサい服?なぜ?」となっている可能性大なので、よければ逆スクロールしてみてください... 真実はいつも1つ!)。
ではでは、おやすみなさい!(実はまだ夕食の時間)